tokujirouの日記

古来バリアーは「障碍」と表記されました。江戸末期に「障害」が造語されましたが終戦まで人に対して「害」がつかわれることはありませんでした。「障害者」は誤表記です。「碍」の字を常用漢字に加えて「障碍者」に正常化を急ぎましょう。漢字文化圏では「障碍」が常識です。

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。(複製・配布歓迎します) https://bit.ly/2OIP0nX

「碍」と呼称・表記シンポジウム

2月20日(土)の午後、東京都千代田区平河町の都市センターホテル「コスモスホールⅡ」でシンポジウムが開催されパネリストの一人として参加しました。シンポジウムで壇上に座るのは75歳にしてはじめての体験でした。テーマは「障害者」から「障碍者」へ。さらに・・・〜「精神障害者」の呼称と表記を考えるシンポジウム〜。

地味な題なので参加者数を心配しましたが全国各地から一般の方、公務員、医療・福祉関係者など各層の方々145名の参加があり満席でした。ご参加いただいた方々に厚くお礼申し上げます。

別途、報告書を作成中で詳細は後刻公開しますがとりあえず私の発言原稿を以下に掲載します。持ち時間が20分でしたので長文ですがご笑覧いただければ幸甚です。

この企画は昨年12月3日朝日夕刊の白石編集委員の記事がきっかけで実現したものであることを申し添えます。





「障害者」から「障碍者」へ。さらに・・・・
精神障害者」の呼称と表記を考えるシンポジウム     


芦屋家族会会長 豊田徳治郎


私が「障害者」という表記に興味をもちましたのは今から丁度15年前でございます。1995年、阪神淡路大震災の年ですのでよく覚えております。その年に長男が精神疾患を患いまして診断の結果は統合失調症でございました。当時の病名は精神分裂病でしたので親として驚天動地であったことを記憶しております。

主治医の勧めで手帳を申請しましたが貰った手帳には「精神障害者保健福祉手帳」と記載されていました。当時の私共夫婦には精神疾患についての知識は皆無でございまして、むしろ普通の人並みのステイグマをもっておりましたので、わが息子が精神病に罹ったというだけで、ただただ慌てふためいただけでした。

やがて長男の病状も落着き、手帳を手にとってつらつら眺めますと「障害者」という表記が気になりました。「害のある者」と書いてあります。そこで突然に昔の出来事を思い出した次第でございます。

私は総合商社に勤務しまして今から40年前に韓国のソウルに駐在しました。そのときの出来事でございます。取引先に日本の文芸春秋の愛読者がおられて毎月文春を隅から隅まで読むというのがその人の自慢でした。ある日、日本ではどうして「障碍者」を「障害者」と書くのですか、これでよく日本の「障碍者」は怒りませんね、といわれたのです。韓国では「障害者」の「害」は戦前、戦後一貫して石偏の「碍」、即ち碍子の「碍」を使用しています。当時の私は障碍とは無縁でしたので聞き流していたのですが、息子の罹患でそれを突然思い出し問題意識をもったわけでございます。

2000年から芦屋市の家族会活動にかかわり「障碍」の表記を調べましたところ石偏の「碍」は常用漢字に無いので公用語としては使用できないとのことでしたので内部文書のみ石偏の「碍」を使用することとしました。

翌2001年に附属池田小事件がありました。この事件は当初「精神障害者」による大事件として報道されました。あらゆるメデイアが連日しかも長期間、総力をあげて膨大な量の情報を発信しましたので、従来から国民の間にあったステイグマが何百倍も増幅され固定化されたと言ってよいと思います。結果は「精神障害者」を騙った「詐病」だったのですが多くの国民の意識に残ったのは「精神障害者」は危険であり社会に害を与える人達というイメージだけではなかったでしょうか。この事件を取材した読売の原記者は奈良でのシンポジウムで「詐病」を見抜けず誤報に至った経緯を反省の弁と共に述べておられましたが「覆水盆に還らず」です。

2002年には念願の「精神分裂病」の「統合失調症」への呼称・表記の変更が実現し障碍当事者のカミングアウトを容易にする結果となり、よかったと思っておりますがこの件については後ほど佐藤光源先生からご発言があろうかと思います。

私は「統合失調症」への変更と同時に、あるいはその前に「精神障害者」の呼称・表記を「障碍」の表記も含めて変更して欲しかったと思っておりました。池田小事件で「精神障害者」という言葉は事件とセットで報道され当時は血塗られた忌まわしい言葉になってしまっていたからです。

以上、私が「障害」の表記そして「精神障害者」の呼称・表記の改訂に関心を持つに至った経緯を申し上げました。

「障害」の「害」の字については私の他にも疑問や違和感や不快感をもっておられた方が多数いらっしゃったようで2004年になり自治体としては初めて東京都多摩市が「害」の表記をひらかなに変更しました。このまぜがきはその後日本中の自治体に広がり現在では大阪府を含む十の府県と五つの政令指定都市が採用しています。市町を含めるとかなりの数にのぼっています。その理由は本来の石偏の「碍」の字が常用漢字に無いための便宜的措置とも聞いております。

そして、丁度2年前に現行の常用漢字が30年ぶりに見直されるとの情報に接しまして、石偏の「碍」の常用漢字への追加運動を思い立った次第です。調べを進める中で丸山一郎先生の「障碍から55年―まだ残る(害)」と題した小論文に遭遇しました。丸山先生は2年前に亡くなられましたが埼玉県立大学の教授で障碍者福祉論がご専門でした。1980年代には厚労省の専門官も務められ亡くなられるまで日本障害者協議会(JD)の副代表でした。

丸山先生の論文で石偏の「碍」が戦後の混乱期に制定された当用漢字から漏れ乱暴なことに同音のしかも全く意味の異なる、害する「害」が充当されたとの経緯を知った次第です。明らかな誤用であるとも述べておられます。

常用漢字についてはのちほど文字がご専門の當山日出夫先生からお話があろうかと思います。

「障碍」の表記問題は単に常用漢字との関連にとどまらず700万人ともいわれる障碍者全体の問題であり同時に広く社会全体にかかわる問題でもありますので、ひょっとして国会で議論がなかったかどうか議事録をしらべましたところありました。

2年半前の2007年8月に当時野党民主党川内博史衆院議員が「法律の条文における「障害」の表記に関する質問主意書」で「障害」には否定的意味があり「障碍」表記が好ましいとしたうえで、条文の「障害」表記を石偏の「障碍」に変更する場合常用漢字への追加が必要かを政府に質しておられます。これに対する当時の安部首相の回答は「常用漢字への追加が必要だがこれまで検討したことはない」というものでした。これで条文と常用漢字との因果関係がはっきりしたわけでして石偏の「碍」が追加されれば条文もこれにならうことになるものと思われます。

これから私がなぜ「障害」の表記変更を訴えてきたのか、そして「精神障害者」の呼称・表記の改訂をも提言するのかを述べたいと思います。

「障害」表記の変更を訴えて参った主な理由は次の三つでございます。

①誤りは直ちに正すべき
丸山先生がおっしゃるようにこれが「誤用」であるならば直ちに正されてしかるべきだと思います。戦前も例外的に「障害」の表記があった、「害」にも肯定的な意味もあるとする説は木を見て山を見ずの議論のための議論だと思います。

②日本の障碍者福祉は特に意識の面で遅れをとっています。表記だけを替えても意味が無いとの意見もありますが表記すら替えられないようでは国民の意識の変革は更に遠のくでしょう。

③日本は「障碍者権利条約」の批准を迫られています。条約の原文はConvention on the rights of persons with disabilitiesですがこれを外務省は「障害者の権利に関する条約」と仮訳しています。この「害」のままではこの標題自体が条約の主旨に反するのではないかと危惧しております。韓国・中国は日本の邦訳を注目しています。韓国では「国際障碍人権利条約」であり中国では「残疾人権利国際公約」です。因みに台湾でも「障碍人」と表記しています。前に申し上げましたソウルでの出来事のこともありまして日本が同じ漢字圏で恥をかかなければよいがと私には大変気になるところです。   

次に「精神障害者」の呼称・変更を提案する理由を述べます。同じく三つにまとめました。

①「精神障害者」という言葉を聞いて皆さんは何を連想されるでしょうか。関係者はともかく一般の市民の方々は極めてネガテイブな連想をされるに違いありません。私自身も精神保健福祉分野に関係して10年になりたびたびこのことばを耳にしますが今もってその都度どきりとし嫌な感じをいだきます。今日はテーマの関係上使用せざるを得ませんが口からこのことばを発すること自体がマナーに反しエチケット違反ですらあると感じています。

精神障害」あるいは「精神障害者」という言葉自体には何の罪もないのですが、この言葉は半世紀以上にわたって常に「犯罪」や「不祥事」と一緒にセットで頻繁に使用され、しかも必要以上に大量に報道されてきたために国民の間では「危険で周辺に害を及ぼす反社会的人達」と同義語になってしまっています。そんな反社会的人達に福祉など不要であるとの潜在意識があるのでこの分野の福祉が一向に進まないのだと考えます。

大多数のいわゆる「精神障害者」の実像はそのような社会通念とは全くことなったものです。全国で303万人ともいわれる「精神障害者」の99%以上の人達は犯罪や触法とは無縁でありむしろ健常者よりきまじめな人達ですらあります。

日本の精神疾患者への福祉は欧米比で半世紀遅れているともいわれています。5年前に発表されました「精神保健医療福祉の改革ビジョン」の中で国はこのような国民の意識の変革こそ焦眉の急であるとしてこれを第一目標に掲げており数値目標すら設定していますが5年が経過した現在、確たる進捗がみられないのが現状です。この社会通念と実像との乖離は早期に解消されなければなりません。
この「国民の意識の変革」を進めるそのきっかけ作りの第一歩として「精神障害者」の呼称・表記の改善を提言する次第です。


②国はそのビジョンで「病院から地域へ」というスローガンを掲げ精神疾患者の退院促進を目指しています。32万人ともいわれる入院患者には多数の社会的入院と称される人達が含まれており、病院の中ではなく地域社会でのリハビリがより効果的との理由によるものです。欧米諸国はすでに数十年前からこの方針で臨んでおりイタリアなどは精神科の入院病棟は不要とさえ言って実行していますが日本では遅々として前に進まないのが実情です。

地域社会でリハビリを行うには当然地域生活支援センターや作業所などの社会復帰施設が必要となります。これらの社会復帰施設を作るにあたっては周辺住民の皆様へのきちんとした説明が必要ですがあまり実施されていないのが実情です。結果として殆ど問題は発生していないのですが。私が実際に体験したある説明会では「精神障害者の社会復帰施設を作る」との説明に対して「この閑静な町に北朝鮮テポドンを撃ち込むような真似はしないで欲しい」との意見が出ました。これは現在の国民の意識を代弁した正直な発言だと思います。このような状態を少しでも改善し立地を容易にしたいというのが「精神障害者」という呼称・表記の変更を訴える二つ目の理由です。

③三つ目は精神障害者の雇用促進についてでございます。雇用促進策として2006年度より精神障害者も法定障害者雇用実績に算入されることになりましたが数字の上では一向に進みません。他の従業員の手前もあって「精神障害者を採用するなんてとんでもない」という雇用主側の理解不足による拒否反応が一部にあることも原因の一つだと思います。少し時間は掛かるとは思いますが呼称・表記を和らげることによって障碍についての理解も進み道が開けてくるのではないかと考える次第です。

以上「精神障害者」の呼称・表記の変更を提案する根拠を三つ述べました。

次に今後の見通しについて申し上げます。

昨年暮に内閣府内に「障がい者制度改革推進会議」が新設され発足しました。その冒頭の会議で鳩山首相はこの会議名の表記自体に意味があると発言されました。資料に書かれた「障がい者」の「がい」という平仮名書きを指しての言です。政府関係の資料ではおそらく初めてウ冠の害以外の表記がなされたと思います。その前後の発言から推測してこれは「障がい者」とまぜがきにしようという提案ではなく、従来のウ冠の「害」に替ることばを検討しようという提案だと理解しています。と同時にこの鶴の一声ならぬ鳩の一声でウ冠の「害」が今後継続使用される可能性は限りなくゼロに近づいたと判断します。

これからの「推進会議」で代替表記が議論されますが、候補としてはこの平仮名表記の他に本来の石偏の「碍」に戻そうという「障碍」と神戸のプロップステーション竹中ナミさんが1991年来提唱されている「チャレンジド」の3案があると思います。本来の石偏の「碍」に戻すには常用漢字の改訂とのからみがありますがこれについては後ほど當山先生が言及されると思います。

ウ冠の害が消えることになれば私の当初の願いは半ば達せられたことにはなるのですが、これまで石偏の碍での代替を運動して参りましたので、かくなるうえは本来の「障碍」表記が選ばれて欲しいと願っているところです。みなさんは「障碍者権利条約」の「碍」の一字だけが平仮名表記になることに違和感を持たれないでしょうか。同じ漢字圏の中国や韓国ではどう受取られるでしょうか。

精神障害者」の呼称・表記の改善問題はこれからです。政府が「障害者」の表記を検討するこの絶好の機会に同時に議論していただきたいと、ささやかな運動を始めているところです。痴呆症から認知症への変更は提案から成案まで2年足らずだったと聞いております。これを参考に代替呼称を広く国民に公募するのも一案かと思います。

最後にご参考までに芦屋市では「心的障碍」という呼称・表記を試しに使っていることを申し添えます。心身障碍という言葉もありますし身体障碍・知的障碍・心的障碍と語呂合わせも良いかと思います。この言葉は山中市長が公の場で使用を開始しており芦屋市社会福祉協議会もこれを採用し使用しています。

呼称・表記の問題は地味ですが古来「名は体を表す」と言われています。「障碍」についての正しい知識の普及、特に精神保健福祉の分野で国民の意識の変革を目指すのであれば先ずは呼称・表記の変更で気分を一新して第一歩を踏み出すことは大きな意義のあることだと考えます。

これで私からの発表を終ります。有難うございました。
                            (2010年2月20日 都市センターホテル「コスモスホールⅡ」)