tokujirouの日記

古来バリアーは「障碍」と表記されました。江戸末期に「障害」が造語されましたが終戦まで人に対して「害」がつかわれることはありませんでした。「障害者」は誤表記です。「碍」の字を常用漢字に加えて「障碍者」に正常化を急ぎましょう。漢字文化圏では「障碍」が常識です。

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。(複製・配布歓迎します) https://bit.ly/2OIP0nX

「碍」と白石明彦氏

昨年末来久しぶりの日記です。

白石明彦氏は朝日新聞文化部所属の編集委員です。現在文科省文化審議会)で見直し作業が行われている新常用漢字表の動向も追跡しておられます。
昨年は源氏物語にまつわる大型連載記事「源氏千年」を執筆されました。2002年には学芸部員としてラジオ・テレビ編集長、2003年には読書編集長として朝日新聞寄付講座で「読書欄はこう作る」と題した講演をされました。山口県土井ヶ浜遺跡や萩焼のことなど幅広く活動しておられます。

昨年8月、突然その白石編集委員よりメールが届きました。秋に漢字に関する大型連載を企画しているので取材に応じてほしいとのこと。私は「障碍」の表記に関連して微力ながら「碍」の常用漢字への追加運動を展開しており、このブログにも書いてきましたのでそれが目にとまったようです。

酷暑の中、はるばる東京よりカメラマンを帯同して芦屋にお越しになるということで、何かお土産をと思い統合失調症の長男を説得して親子二人で写真に納まることにしました。最初は躊躇していた息子も状況を理解して協力に転じてくれました。ちょっぴりジェンナーの心境を味わいました。この病気の当事者とその父親のツーショットは本邦初公開だと思います。

その記事『ニッポン人脈記・漢字の森深く(7)「碍」の字で社会は変わる』は12月3日、全国の朝日新聞夕刊1面に掲載されました。(夕刊のない地域は翌4日の朝刊に掲載)朝日ということもあって反響は大きく、直後から友人・知人はもとより見知らぬ人からの電話やメールが殺到しました。改めてメデイアの威力を実感した次第です。同時に怖さも体感しました。

この報道は多方面に意外な影響を及ぼす結果をもたらしました。

民主党マニフェストで「障害者自立支援法」の廃止を公約しており、政府は障碍者諸制度を根本から見直すため内閣府に「障碍者制度改革推進本部」(本部長は鳩山首相)を新設しました。これは12月8日の閣議で決定され全閣僚を集めた第1回会議は12月15日に開催されました。この会議の冒頭で鳩山総理は「障害」表記の見直しを明言していますが12月3日の記事がこの「明言」を後押ししたと仄聞しています。その後「障害表記の検討」が推進会議の正式議題となることが確定しています。

他方、佐賀でも動きがありました。この記事を見たあとただちに古川康佐賀県知事佐賀県での「碍」の採用を検討するよう担当部署(健康福祉本部岩崎達也副課長)に命じられたとのこと。アンケートの実施など裏づけ調査を了えた上で古川知事は2月16日の記者会見で内閣府文化審議会あてに「碍」の採用を促す意見書を提出する旨発表されました。古川知事個人が従来より「碍」のフアンであったことも幸いしました。

これに先立って朝日の夕刊が長崎の壱岐日々新聞の種田記者の目に触れ、同社は以後直ちに「障碍者」表記を採用すると12月12日付の同紙上で公表しています。同社では重度の身体障碍当事者が幹部としてご活躍中とのこと。人口3万人の小さな壱岐市の大きなニュースです。

「地域精神保健福祉機構」(COMHBO)はボードに医学会・福祉学会などの有識者を配しアンテイステイグマに取組む有力なNPOです。同NPOの理事会でこの夕刊記事が話題となりさっそく『「障害者」から「障碍者」へ。さらに・・・・「精神障害者」の呼称と表記を考えるシンポジウム』が企画され2月20日都心平河町の都市センターホテル「コスモスホール」で開催されました。全国から145名の参加があり満席でした。「碍」の採用方針を発表したばかりの佐賀県からも健康福祉本部の岩崎副課長が駆けつけ指定発言の中でアンケート結果などを報告されました。活発な質疑を通じで「障碍」の表記が有力候補と位置づけられました。白石編集委員にも熱心に取材していただきました。近々文化欄で記事になるものと思われます。

このように白石編集委員のひらめきによる一本の記事がきっかけで「障碍」の表記問題が次々と大きく展開して行きます。ひいては遅れている日本の精神保健福祉を牽引するきっかけになるやもしれません。メデイアの威力を云々する前に世の中を動かしているのは個人であることを実感しているところです。白石明彦氏に深甚の謝意を表するとともにメデイアの社会部の方々にもメンタルヘルスに関する知識を習得していただきたいと念じる次第です。