「碍」と周恩来宛石橋書簡
伊藤忠商事会長から転じて中国大使を経験した丹羽宇一郎氏の著書「中国の大問題」が今話題になっています。同じ伊藤忠商事のOBの一人として興味深く一気に読了しました。
巻末に在中国日本大使館のHPに掲載されている日中間の条約や共同声明などの資料が添付されており、ひょっとしてこれ等の公式文書に「障碍」の表記が含まれていないかと思い調べたところ発見しました。
それは、1959年6月4日付で石橋湛山が周恩来宛に出した石橋書簡、いわゆる石橋三原則の中にありました。三原則の二に≪経済において、政治において、文化において、できる限り国境の『障碍』を除去し、お互い交流を自由にすること≫とあります。
文部省が「障碍」を「障害」と書き換えるようダメ押し的に指導したのは1956年ですので、その3年後の1959年に石橋書簡で「障碍」が使用されたことになります。石橋書簡は歴とした公式文書です。もし「障害」が使われていたら中国側で物議をかもしたやもしれません。中国では「害」はharmやkillのみを意味しbarrierの表記は「障碍」のみです。中国には「障害」という熟語表記はありません。書き換え指導の詳細については2010年8月12日付の幣日記≪「碍」の文部省による書き換え指導≫をご参照ください。
ポッダム宣言の中でもobstacleが「障碍」と邦訳されており、やはり法令等の「しょうがい」は「障碍」と表記するのが正統だと考えます。ポッダム宣言の邦訳については2010年10月6日付幣日記の参照をお願いします。
この石橋書簡が鏑矢となり1972年に田中・周の共同声明、1978年の平和友好条約締結に進んだことになります。
以下に石橋書簡の石橋三原則の部分を転記します。
石橋書簡
差出人 石橋 湛山 (1959年6月4日付)
宛先 中華人民共和国 周恩来国務院総理閣下
一・ 中華人民共和国と日本との両国(以下両国と称す)はあたかも一国の如く一致団結し、東洋の平 和を護り、併せて世界全体の平和を促進するよう一切の政策を指導すること。
二・ 両国は右の目的を達するため、経済において、政治において、文化において、できる限り国境の 障碍を撤去し、お互い交流を自由にすること。その具体的方法に就いては実際に即して両国が協 議決定すること。
三・ 両国がソ連、北米合衆国その他と結びたる従来の関係は両国互いに尊重して俄に変更を求めざる こと。但しできる限りこれら関係を前記の目的の実現に有用に活用することに努めること。その 具体策についてはこれまた隔意なき協議によること。