「碍」の追加をめぐる議論
小形さんのブログを中心に「碍」をめぐる議論が活発に行われている様子を拝見し大変嬉しく思っております。
戦後の混乱期にふとしたことでこの漢字が当用漢字から漏れ半世紀以上も日陰に置かれたためにすっかり国民から忘却され今や珍しい読みにくい漢字になってしまっています。画数もそう多いものではなく「損得」の「得」の行人偏を石偏に変えればよいだけのことなのですが。すっかり馴染みがなくなっているのです。
障害者自立支援法で3障碍(身体・知的・精神)の一元化が謳われこれに呼応して芦屋市でも障碍4団体を構成員とする芦障連(芦屋市障がい団体連合会)を結成し毎月例会を開催しています。「碍」の常用漢字への追加問題については芦障連内部でも色々な意見がありますがどうも障碍の種別によって追加のニーズに温度差があるようです。
これまで「障害」の表記に一番敏感だったのは知的障碍の団体(全日本手をつなぐ育成会)で全国的に自治体に働きかけて「障がい」と交ぜ字表記を実現してしまいました。全部の自治体ではありませんがかなりの数の自治体がこれを採用し自治体によっては課を「障がい福祉課」と表記しているところもあります。因みに兵庫県庁は「障害福祉部」と昔のままです。国(厚労省)も同様です。国は交ぜ書きを気にしている様子で元埼玉県立大学の丸山一郎先生(故人)にも意見を聞いた様子ですがやはり「障がい」という交ぜ書きには違和感・抵抗感があるのでしょう、従来の表記のままになっています。
心的障碍(精神障害)の分野でのニーズは知的障碍以上に大きいはずなのですが団体の力が弱体(全家連は消滅)で新興の全福連も立ち上がったばかりで目先のことで手一杯でありとても「呼称」のことまで気が廻らないのが実情です。
「こころのやまい」は戦後、経済の発展と共に劇的に増え現在も増え続けており、とうとう303万人にまでなっています。日本は人口比で長い間OECD諸国中でトップクラスにあると推定されます。
この303万人という数字は精神科の治療を受けている人(入院患者32万人を含む・これも世界一)全てを推計したものです。
国(厚労省)はこの治療を受けている人達すべてを「精神障害者」と呼んでいます。国会の議論でもこの数字が使用されています。不条理極まりないと思っています。
「精神障害者」の社会通念は依然として「危険な人」「何をするか判らない人」です。「精神障害」という言葉を聴いただけではっとし口に出すのも抵抗感があります。口にすること自体がエチケットに反するとの感触すらあります。
この国の統計上の精神障害者の実像は全く異なります。小形さんのブログにもコメントしたのですが確かにごく一部に医療の対象になりにくい反社会的人達が含まれていることは事実です。然しその数は303万人の0.15%以内です。国が「精神障害者」と呼んでいる人達の99.85%は触法とは無関係であり通常の市民であり一定の教養もあり他人に迷惑を掛けずに生活している人達です。メデイアはこの例外的な0.15%の人達をズームアップして大きく取り上げるので、「精神障害者」=「危険な人」との虚構が形成されてしまっています。
このような事実を背景として「精神障害者」という字を見ると先ず「精神」という漢字にピクリと反応しその後に「障害」という字がくっついているので「やっぱり社会に害を与える人達か」ということになるわけです。適当な漢字が無ければ交ぜ書きも仕方がありませんが「碍」という正当な立派な漢字があるわけですから是非追加してもらいたいと申し出た次第です。
戦後「碍」が当用漢字から漏れた理由の一つとして使用頻度の問題があったと仄聞していますが確かに「障碍者」という概念が急速に普及したのは戦後であり「障碍者」の数も劇的に増加しています。常用漢字もこの時代の流れに沿って変化に対応すべきであり外資系のマイクロソフト社すらも「障害者」表記を「障碍者」に改め使用しています。
この「障害」の「障碍」への変更は国の目指す「障害についての正しい知識の普及・啓発をつうじて国民の意識を変革する」との大方針の第一歩になりうると確信しています。「碍」の使用が昔はどうであったかとの議論も重要ですが温故知新で変化に対応した新しい取組みも必要かと思います。
国の「精神保健医療福祉の改革ビジョン」や「自殺対策基本法」のことなどは別途書きます。
今日はこのへんで。