tokujirouの日記

古来バリアーは「障碍」と表記されました。江戸末期に「障害」が造語されましたが終戦まで人に対して「害」がつかわれることはありませんでした。「障害者」は誤表記です。「碍」の字を常用漢字に加えて「障碍者」に正常化を急ぎましょう。漢字文化圏では「障碍」が常識です。

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。(複製・配布歓迎します) https://bit.ly/2OIP0nX

「碍」と「心的障碍」

長男が統合失調症精神疾患)を罹患したことは前に書きました。それは阪神淡路大震災の直後でした。震災と罹患に因果関係は無かったと思います。当時は現役で仕事をしていたので息子のことは全て家内に任せきりでした。家族会や勉強会などにも全て家内が出席していました。


10年前西宮から芦屋に転居、家内の都合(英会話の先生)もあって65歳で現役を退いたのを機に家内に代わって私が諸会合に出ることになりました。精神疾患者の家族の会である「芦屋家族会」や諸種研修会、関係機関や団体との会合などです。


最初に驚いたことが三つつありました。一つは私自身に精神疾患・精神保健福祉に関する知識が皆無だということに気が付いたのです。無知とは恐ろしいことだと震えました。65年以上も生きてきたのに知識を得る機会が無かったのです。多分情報には接していたと思いますが無関心で見過ごしていたのでしょう。


二つ目はこの分野が如何に世間から隔離されたクローズドの世界かということへの驚きでした。この10年間で様子は幾分変わりましたが。ごく稀な病気ならともかく聞けば全国の精神疾患患者数は200万人(当時)ということでした。その家族や関係者も含めると数百万人の関心事ということになります。


三つ目は国が精神疾患者(通・入院者)全てを「精神障害者」と呼称していることへの驚きです。夜眠れないといった軽い「うつ状態」のひとも厚労省の統計上は「精神障害者」に入っています。それとこの呼称自体が問題だと思いました。社会通念として「精神障害者」=「危険な人」とのイメージを私自身も持っていましたのでこれはおかしいと感じたわけです。「精神」と聞いただけで緊張するのにそのうしろに「害のある人」と書いてあるのです。これは改称が必要だと感じました。それで家族会の役員のSさんに「障害」の「害」は「碍」に代えるべきだと思うが「精神」に代る言葉はないだろうかと意見を求めたところ従来より
「心身障害」という用語はあるので「心的障碍」でどうでしょうかという返事が帰ってきました。それで「芦屋家族会」としては取敢えず「心的障碍」で行こうと決めた次第です。因みにトラウマは「心的外傷」と翻訳されています。


極言すれば民主主義は声を出さないと機能しません。それも的確な説得力のある声を出すことが条件です。声を出そうにも出せない状況(強烈なステイグマの存在など)にあることは事実です。日本人のある種の美意識に根ざした「臭いものに蓋」といった国民性もあるかもしれません。しかしだからといって相手(国・世間)のせいにばかりしていてはいずれ不作為の責任を問われることになるでしょう。


以上より私は国際的にも遅れている日本の精神保健福祉が欧米にキャッチアップするためにはこの分野の実像・実体を一般市民の方々に正しくに理解してもらうことに尽きると結論づけました。国の掲げる「正しい知識の普及・啓発による国民の意識の変革」です。精神保健福祉をめぐっては多くの問題がありますが急がば回れでその解を求めると全てがこれに帰結します。


名は体を表すと言います。「障害」の「障碍」への書き換えはその大きな第一歩だと確信しています。


「心的障碍」についてはその後主として芦屋市内での普及に尽力した結果、山中芦屋市長が公の場で使用してくださっており芦屋市社会福祉協議会(私も理事の一人でした)でも正式に採用され徐々に広がってきております。芦屋市本体はまだ「障がい」とひらかな書きにこだわっておられます。