tokujirouの日記

古来バリアーは「障碍」と表記されました。江戸末期に「障害」が造語されましたが終戦まで人に対して「害」がつかわれることはありませんでした。「障害者」は誤表記です。「碍」の字を常用漢字に加えて「障碍者」に正常化を急ぎましょう。漢字文化圏では「障碍」が常識です。

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。(複製・配布歓迎します) https://bit.ly/2OIP0nX

「碍」と丸山一郎先生

文化庁あてに「碍」の追加に関するパブリックコメントを提出するにあたり故丸山一郎先生のことを想起しました。丸山先生は埼玉県立大学の教授でしたが昨年(2008年)3月に逝去されました。


障害者福祉論がご専門で1980年代には厚生省の専門官を務められたこともありお亡くなりになるまで日本障害者協議会(JD)の副代表でした。


「碍」に関する同氏の小論文を以下に転載します。建帛社だより「つくし」平成18年1月1日号に掲載されたものでネット上でも公開されていますので転載は問題ないと思います。



障礙」から五十五年―まだ残る「害」   丸山 一郎


 このところ、 マスコミ各社からの 『近年自治体が障害者の 「害」 の字を使わない理由は』 との問い合わせに私見を述べているうちに、 この改変の動きの先頭に立っているかのように言われてしまった。
 
 「障害者」 という用語は、 一九五○ (昭和二十五) 年 「身体障害者福祉法」 施行を機に一般化した。 それまでの身体部位を個別的に呼称した用語にかわり、 心身に不自由のある人びとを総称するものとして普及した。 しかし、 「障害」 は正しくはそれ以前から使われていた 「障碍」 であった。碍が当用漢字の制限から使用できないため、 同じ音読みの害を充てたのである。
 
 戦後の混乱期、 米国占領下でこの法律を成立に至らしめた先人たちの苦労をよく知ったうえではあるが、 意味の全く異なる字を誤用したというのが私見である。 その後国語審議会が 「害」 も 「碍」 も同様に扱うこととしたようであり、 誤用とは言いにくいが。
 
 障は障子のように妨げや隔てにするもののことである。 碍の本字は礙であり、 大きな岩を前に人が思案し悩んでいる様を示す。 つまり自分の意思が通じない困った状態。 意思が通らない、 妨げられているという同じ意味の障と碍を重ねた 「障碍」 は人が困難に直面していることを示す言葉であった。 例えば救護法 (昭和七年) では 「精神的又は身体的障碍のある者」 というように使われていることからも、 「障碍」 という用語が最初に使われたといってよい。
 
 山本周五郎の本でも 「これだけが往生の障礙 (しょうげ) であります」 などとあり、 一般的にも使われていた言葉であるが、 それを人に充てたのは大変適切であったと思う。 しかしその後、 同音の碍と害とが混同されて使われていたことも事実である。
 
 礙には、 障害物などの邪魔や害を与えるとの意味はないのだが、 害を使用したことで、 害のある人間という意味にもなってしまった (漢字使用国では被害者、 加害者以外では人には使われない。 韓国では現在も障碍者である)。
 
 自分にも人にも害があるかのような印象を与えたこの誤用が、 障碍をもつ人自身はもとより国民の理解や態度に否定的な影響を現在でも与えていることは否めない。 乙武洋匡が著書 『五体不満足』 (一九九八年) で 「障害は不便であるが、 不幸ではない」 と述べ、 障碍をもつ多く人々自身が 「多くの障碍があるからこそ皆で支え合うことが必要で、 誰もが直面する障碍は、 積極的に生きる機会であって、 必ずしも不幸なことではない」 と語る今日、害は矛盾した全くそぐわない文字のまま五十五年も残っているのである。
埼玉県立大学教授)