tokujirouの日記

古来バリアーは「障碍」と表記されました。江戸末期に「障害」が造語されましたが終戦まで人に対して「害」がつかわれることはありませんでした。「障害者」は誤表記です。「碍」の字を常用漢字に加えて「障碍者」に正常化を急ぎましょう。漢字文化圏では「障碍」が常識です。

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。(複製・配布歓迎します) https://bit.ly/2OIP0nX

「障害者」は「障碍者」・・・(1)

⁂2017年に刊行した冊子《「障害者」は「障碍者」》を参考資料1-2を含め

 5回に分けて掲載します。  

 

                     「障碍」「障碍者」表記研究家

                        豊田 徳治郎

【はじめに】

 従来の「障害者」という表記が不都合であることは、今や関係者の間では共通の認識となっていますが、このことは、既に16道府県7つの政令指定市を含む全国の多数の自治体が代替表記として、個々独自の判断で平仮名交ぜ書き表記「障がい」「障がい者」を公式に採用していることでも明白です。

 文科省は以前から、平仮名交ぜ書き表記は読み取りにくかったり、語の意味を把握しにくくさせたりすることがあり好ましくないとしていますが≪第二十期国語審議会(新しい時代に応じた国語施策について)を参照≫「障害者」の代替表記候補である「障碍者」の「碍」の字が常用漢字外であるため、苦肉の策としての「障がい」「障がい者」は黙認されている状態です。

 筆者は、特に「障害」を人に対して使用した「障害者」という表記は誤表記であり差別表記でさえあるとする立場です。先ずはこれから頻出する「障礙」「障碍」「障害」のそれぞれの字義を確認したうえで「障碍者」がなぜ「障害者」の代表的代替表記候補とされているのかについて考えましょう。

【障礙・障碍・障害の字義】

 「碍」は「礙」の俗字です。「碍」の本字である「礙」の語源につき、海外では≪旅人が道をふさいでいる大きな石の前で立ち止まり、どうしたらよいか考え込んでいる姿からきている≫とされており、日本でも白川静編の「字統」に≪疑は凝然として人の立ちつくす姿であるから、止まって進退しない意がある。それで石によってさえぎられること、障礙の意を示したものであろう≫と記されています。まさに周辺のバリアーに囲まれて困っている「障碍者」を表す言葉にふさわしい漢字と思われます。

 なお、佐藤久夫先生(日本社会事業大学名誉教授)によれば「礙」の語源につき同様の説明を、香港訪問時、香港大学のジョセフ・コック先生から聞いた由、ジョセフ・コック助教授は国際リハビリテーション協会(RI)の社会委員長で、故埼玉県立大学丸山一郎教授もご一緒だったとのこと。字義は、さまたげ、差支え。

 これに対し「害」の語源は白川静先生によれば「大きな針で祝詞を入れるサイ(箱)を突き破り、祈りの効果を傷つけて失わせ、禍を生ぜしめることに由来する」とされ、意味は「禍を生ぜしめる、害する、殺す」とされています。

 従い「碍」と「害」では語源も意味も全く異なる漢字であると断定できるでしょう。「障碍者」と「障害者」の差は英語で表記すれば歴然としています。即ち「障碍者」はずばり「persons with disability であるのに対し「障害者」は「persons with harm」ということになるでしょう。「障碍」「障碍者」表記は社会モデルの観点に沿った障碍者権利条約の考え方とも整合性のとれる表記であると言えるでしょう。

 「障碍」の「碍」(ガイ)は仏教の経典と共に渡来した字ですが、誠に不運な漢字です。日本では三度も大きな不運に見舞われているのです。

【最初の不運・新造語「障害」の出現】

「障碍」(ショウガイ)は、他の漢字使用国同様、古来、日本でも「バリアー」の意味で使用され今日に至っています。ところが「碍」は江戸末期になって最初の不運に見舞われました。突然「障」と「害」を組み合わせた新造語「障害」が出現しました。この「障害」には古来の伝統的「障碍」と同じ「バリアー」の意味が付与され、明治新政府は新造語「障害」の使用を積極的に奨励したのです。なぜその必要があったのでしょうか。

  幕末から明治の初期にかけて、平田篤胤に代表される復古神道の流れの中で、新政府の主導による廃仏毀釈運動が盛んだったことは皆さんご存知でしょう。その運動の一環として、仏教色を消すために仏教経典に由来する「碍」や「礙」の排除が企図されたとしても不思議ではありません。「礙」の代替用語を探したがなかなか見当たらず、単に発音が同じ「ガイ」というだけの理由で字義の全く異なる「害」で置き換え、その新造語「障害」の普及を明治新政府が後押ししたと解釈すれば辻褄が合います。特に「碍」の本字の「礙」は、いかにも抹香臭い字体ではありませんか。

  その根拠として、明治新政府の法令に含まれうる漢語を収集し、明治4年に創刊された官許の辞書「布令字弁」があります。これには「障害」が「セウガイ」「シャウカイ」の二か所に掲載されているのに対し「障碍」はどこにも見当たりません。勿論「礙」も載っていません。これにより新政府が新造語「障害」の使用・普及に積極的であったことがわかるでしょう。他方、当時の法令には古来の「障碍」「障礙」が使用されていなかっただろうことが推察されます。因みに「布令字弁」は今で言う「法令用語辞典」で広く庶民にも人気抜群でベストセラーだったとされています。結果として「障碍」の陰が薄くなりました。これが最初の不運です。

 その後、「障碍」の使用頻度は盛り返し、昭和の終戦時点では「障害」と大差ない水準まで回復したようです。加えて終戦までの大きな特徴は「障害」は全て「モノ」に対して使用され、決して「ヒト」に対して使用されることはなかったようです。例えば戦前の昭和7年に施行された救護法では「精神的又は身体的障碍のある者」というように「害」ではなく「碍」が正しく使用されています。因みに「障碍者」という総称は戦後に出現した言葉であり、それまでは各部位の障碍を個別に呼称していました。

【第二の不運・敗戦による漢字制限の犠牲に】

 二度目の不運は敗戦によるものです。米軍の指導で漢字制限が実施された結果、終戦翌年の1946年に制定された1850字の当用漢字から「碍」の字が外され、またもや「障碍」の「碍」は同音という理由だけで字義の全く異なる「害」で置換され「障害」となりました。対象が「モノ」の間は罪が軽かったのですが、1950年(昭和25年)に施行された「身体障害者福祉法」は当用漢字の制限下で初めて「ヒト」を対象に「障害者」が使用された法令であり、戦後の混乱期とはいえ命名当事者はさぞかし心を痛めたであろうことが容易に想像できます。

  終戦と同時に「碍」の字は教育の場からは消えましたが、「障碍」という熟語の必要性は残り、それなりに関係者の間では使用が継続されました。それもあって、文部省(当時)は1956年に一般国民に向けて「障碍」は「障害」と表記するよう徹底すべしとの通達を出し、これで諸種メデイアを含め国民の視界から「碍」の字の殆どが消え去りました。当時、障碍者運動は初期の段階でしたので「障害者」の表記までは気が回らなかったのでしょう。

 【三度目の決定的不運・常用漢字への追加成らず】

  三度目の不運はつい7年前の出来事です。21世紀初頭になり、それまで内在していた問題意識が芽吹きました。20001月東京都多摩市が自治体としては初めて「障がい者」表記を採用しました。住民の要望で検討を始め、当初、当然とはいえ「障碍者」が候補に上りましたが、「碍」が常用漢字外ということで瞬時に消え、妥協の産物として平仮名交ぜ書き表記に落ち着いたとのこと。それでも小さな一地方自治体が独自で中央省庁とは異なる表記を採用したわけですから多摩市の勇気ある英断に敬意を表します。

 

 それから10年後の2,010年、民主党政権下で29年ぶりに常用漢字の見直しが行われ新たに196字が追加され2,136字に増えましたが、運悪く「碍」の追加は叶わず今日に至っています。

 文科省文化庁国語審議会)は今回の見直しにあたり、追加字種の選定に先立ってパブリックコメントの形で国民の意見を募りましたが、結果は国民からの「碍」の追加要望が際立って多く、追加希望字種の実質最上位を占めました。(具体的には「玻」が95通で1位、「碍」は86通で2位。但し、「玻」は追加希望の目的が「娘の名前に」ということが判明して没になり「碍」が実質1位となった)

  常用漢字の改訂作業に同時平行して、鳩山首相の命で内閣府障がい者制度改革推進本部、以下「推進本部」)での「障碍」「障碍者」の法令等における公式表記の検討が閣議決定されたため、文科省内閣府での検討結果を待って「碍」の追加の可否を判断することになりました。

  内閣府でも国民の意見を募集しましたが、結果を下記します。

 《一般からの意見募集の結果について》

 平成22910日(金)から30日(木)までの21日間、内閣府、共生社会、障害者施策の各ホームページにおいて、意見募集を実施したところ、637件の意見が寄せられた。その内訳は、「障害」を支持する意見が約4割、「障碍」を支持する意見が約4割、「障がい」又は「しょうがい」を支持する意見が約1割、その他独自の表記を提案する意見等が約1割であった。(出典:内閣府

障がい者制度改革推進会議「障害」表記検討結果の資料23より)

 長年使用されてきた「障害」の4割は当然として、国民の眼前より消えて久しい「碍」が4割の支持を集めたのには皆驚きました。平仮名交ぜ書きの「障がい」が1割と少なかったのも意外でしたが法令等の表記には漢字が馴染むとの判断があったのかもしれません。

 国民の支持が「障害」と「障碍」とで拮抗したことや、予備知識や関連情報の推進会議委員への事前周知の不十分さなど事務局の不手際もあって、法令等の表記をどうするかの結論は先送りとなりました。但し、国民意見の4割もが極めて馴染みが薄いはずの「障碍」表記を支持したことで、おそらく内閣府(推進本部)より文科省あてに「碍」の追加要望がなされるものと予想されましたが何故かこれも保留となりました。理由は判然としておりません。

 この結果を受けて、文科省は目前の追加字種196字に「碍」を加えることは見送りましたが、追加実現の一歩手前まで進んだことは明白です。今回のことで、「碍」の字は文化庁国語課の中で特別の字種に位置付けられましたので、今後の内閣府(障害者政策委員会)での継続審議の結果次第で、あるいは、内閣府に限らず障碍者問題を担当する厚労省社会保障審議会障害者部会)等より然るべき要望があれば文科省には検討に応じていただけるものと確信しています。

 【前半之部のまとめ】

以上、前半之部では、「障害者」の代替表記として、筆頭候補に位置付けられている「障碍者」の「碍」の字の字義について述べ、続いて「碍」の字をめぐる3つの不運を紹介しましたが、これらのエピソードを通じて「障碍」と「障害」両熟語の歴史的背景や変異の経緯をご理解いただけたことと思います。同時になぜ「障碍者」が「障害者」の代替表記の筆頭候補に位置付けられているかも納得されたものと確信します。バリアーを意味する漢字は「障碍」「障礙」が本流であり「障害」は亜流なのです。

 文科省は今回の常用漢字の改訂で、「碍」の追加を見合わせた理由として、現時点での「碍」の使用頻度(出現頻度)が低いことと、造語力(熟語構成力)が弱いことを挙げていますが、使用頻度の低さについては前述の3度の不運の経緯をみれば当然の帰結です。「碍」は戦後も排除され続けたわけで、国民は「障害」の代替に「障碍」を使用したいと希望しているわけですから、問題にすべきは「障害」の使用頻度でしょう。同じ理由で「碍」の造語力ではなく「障害」の造語力に注目すべきであり、そうであれば「使用頻度」も「造語力」も何ら問題はないものと思われます。

 戦前には前例のない「害」を「ヒト」に対して使用した「障害者」が誤表記だとするならば、誤りは直ちに直されてしかるべきでしょう。後半之部ではこの誤りを正さず放置した場合、どんな不都合があるか、また「障碍者」に正した場合のメリットについて考えます。

                                以上

 

 

 

:::::::::::::::::::::::::::

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。

こちらは自由に複製していただいて結構です。

https://bit.ly/2OIP0nX

:::::::::::::::::::::::::::