tokujirouの日記

古来バリアーは「障碍」と表記されました。江戸末期に「障害」が造語されましたが終戦まで人に対して「害」がつかわれることはありませんでした。「障害者」は誤表記です。「碍」の字を常用漢字に加えて「障碍者」に正常化を急ぎましょう。漢字文化圏では「障碍」が常識です。

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。(複製・配布歓迎します) https://bit.ly/2OIP0nX

「碍」と障害者権利条約

略称「障害者権利条約」の原語はConvention on the Rights of Persons with Disabilitiesです。これの日本政府仮訳は「障害者の権利に関する条約」です。この「障害者」の表記にご注目ください。


欧米では心身に不自由のある人はpersons with disabilityあるいはwith disorderと呼ばれています。不自由な人、不具合の人といった軽い表現です。以前はhandicappedという言葉も使われていましたが「見下した表現」ということで姿を消しつつあります。昔教会で募金集めに帽子を回した、即ちhand in capが語源との説もあります。仮訳とはいえ「障害者」と訳していいのでしょうか。「障害者」を再度英訳すればさしずめpersons with harmとでもなるのでしょうか。推測ですが先人は「障碍者」と邦訳したに相違ありません。そう信じたいものです。


さて、障害者権利条約です。この条約はメキシコが2001年12月に国連総会に「障害者の権利及び尊厳を保護・促進するための包括的総合的な国際条約(外務省訳)」として提案し、その後障碍当事者を含む特別委員会(アドホック委員会)での8回の審議を経てコンセンサスを形成し2006年12月5日の国連総会で採択されたものです。


詳細は省略しますがこの条約は「障碍は個人ではなく社会にある」といった視点から創られた障碍者福祉のバイブルともいうべき21世紀初の画期的人権条約です。


2008年4月3日までに20カ国が批准し2008年5月3日に発効しています。2009年3月現在139カ国が署名を終え、批准国は58カ国(2009年7月3日現在)に達しています。


日本はといえば2007年9月28日に139カ国中の1国として高村外相が署名はしたものの批准は未だです。58カ国が済ませているというのにです。


批准の大幅遅れの理由は関連法令の未整備といわれています。その整備には膨大な時間とエネルギーが必要とも聞きます。直近に施行された障害者自立支援法さえも条約に抵触する惧れがあるといわれています。これはとりもなおさず日本の障碍者福祉が特に意識の面で国際的に大きく遅れをとっていることを如実に示しています。


身体障碍分野については駅のエレベーターやトイレなど障碍者専用の立派なものが出来上がっています。道路や施設などのバリアフリー化も着実に進んでいます。身体障碍の一部である内部障碍も医療・科学の発展と相呼応してペースメーカーや人口肛門など日本お得意の技術力を生かして発達し今や世界のトップレベルに達しているといえるでしょう。このようにハードの面では世界水準に到達しているために国民の目には福祉先進国と映り今や欧米に学ぶべきものはないとの錯覚を招いているやもしれません。


しかし事実は前述のように批准国50カ国にすら入っていないのです。特にメンタルヘルス分野に対する「意識」の遅れは目に余るものがあります。未だに「精神障害者」のような反社会的人達に福祉は無用との声すら聞こえてきます。


国連大使が国連で「障害者」の「害」はどういう意味かと聞かれたら何と答えればよいのでしょう。英語圏の人であっても漢字が表意文字であることくらいの知識はあるでしょう。その人が漢字圏からの大使であればと思うとぞっとします。その前に「障害」の表記そのものが条約の精神に違反していることは明白です。


文化庁に「碍」の追加をお願いするにあたり漢字圏の領事館(代表部)に「障害者」をどのように書いているかを照会しました。韓国の回答が一番早く「障碍者」または「障碍人」と表記しているとの回答でした。次が中国で「残疾人」と短い返事でした。最後が台湾で「碍」の元字を使った「障礙人」ですが日本語の「障害者」は少し変ですねとのコメント(電話)がありました。漢字圏では「害」を人に使っている例はないようです。「被害者」「加害者」は別でしょうが。漢字圏での表記についてはどなたかが「はてな」に書いておられますので重複をお許しください。


政府は批准を急ぐために条約の邦訳の仕方での調整をはかっているようですが「障害者権利条約」の見出しそのものの邦訳も調整が必要ではないでしょうか。2001年にメキシコが提案したときに日本に問題意識さえあれば対応の時間が8年間もあったのですが。一体この不作為の責任はどなたが取られるのでしょう。


欧米では古来「Names and Nature do often agree」と言われ言葉を大事にしています。日本でも「名は体を表す」 と言います。表意文字だからこそなおさら大切にしたいものです。


今日はこのへんで。明日は「碍」と「精神保健医療福祉の改革ビジョン」について書きます。