「碍」と當山日出夫先生
12月3日の朝日の夕刊ニッポン人脈記「漢字の森深く⑦」に當山日出夫先生のお写真が掲載されましたので既にご存知のかたもおおいとおもいますが国語学者(日本語のふるい文献を解読する分野)で「もじ」の研究では日本の第一人者です。
わたくしが當山先生にはじめておめにかかったのはことしの5月31日でした。といってもインターネット(Hatena::Diary)上での対面です。
10年前に問題意識をもち「精神障害者」の代替呼称・表記を模索するなかでなぜ「害」かとの疑問をもち戦前の「碍」での置換を提唱してきましたが「常用漢字表」のかべにはばまれました。公用語は常用漢字を「尊重」するとのきまりがあり「障碍についてのただしい知識の普及・啓発をつうじた国民の意識の変革」を標榜する厚労省がこれを是正できないでいるというのです。
ことしのはじめ、27年ぶりに常用漢字がみなおされるとしり、3月に実施されたパブリックコメントに応募し「碍」の追加を提言しました。結果、302字の追加希望字種中「碍」は第2位となりこれを契機として市井では追加の是非をめぐっての議論が活発化しネット上でも特に「Hatena::Diary」で激論となりました。
このうごきを伝聞し議論にくわわってみたいと日記形式のブログを開設し自己紹介をかねて「はじめての日記」と題した一文をかいたところ即座にコメントをかいていただいたのが當山先生でした。「もじはみんなのものであり文字を論じるのは文字研究者の特権ではない」とかいてあったのを記憶しています。
日記をかきすすめていくなかで「碍」の追加をちからづよく支持していただき、おくれている日本の精神保健福祉の改善にも理解をしめされ、いろいろと助言をくださいました。9月3日にわざわざ奈良から芦屋におこしいただきはじめて當山さんが和尚さん(黄檗宗 王龍寺住職)であることをしった次第です。
もじの研究のかたわら立命館大学で教鞭をとっておられ、その教え子が京都で自死遺族サークルのリーダーだということで9月9日には石倉紘子さんを紹介していただきました。自死問題は精神保健福祉と不可分の関係にあり、このようなであいが後の
「みんなげんき倶楽部」の発足につながりました。
當山先生はパソコン通信の草分けでもあり、「人文情報学」という新分野を創立されました。そのご経験をつうじての「ネット社会では情報は熱心な発信者の手許により多くより早くあつまる」ということばはわたくしも実践してみて実感しているところであり後世の史家が「當山の理論」と評するかもしれません。
さらには「大きな山を動かすためには勇気をもってまず目立つこと」との助言もちょうだいし、これが朝日の記事につながった次第です。
當山先生との出会いが「みんなげんき倶楽部」発足の原点であることに相違なく、感謝しているところです。もちろんビルゲイツ氏にも敬意を表しています。