tokujirouの日記

古来バリアーは「障碍」と表記されました。江戸末期に「障害」が造語されましたが終戦まで人に対して「害」がつかわれることはありませんでした。「障害者」は誤表記です。「碍」の字を常用漢字に加えて「障碍者」に正常化を急ぎましょう。漢字文化圏では「障碍」が常識です。

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。(複製・配布歓迎します) https://bit.ly/2OIP0nX

「碍」と諸種アンケート結果

本年2月20日に都市センターホテル(千代田区)で「障害者」の表記に関するシンポジウムが開催されました。参加者は一般市民、公務員、障碍当事者、医療・福祉関係者など145名。


その会場で実施したアンケートに60名が回答。結果を分析したところ「障害者」の代替表記として30名(50%)が「障碍者」を選択しました。「障がい者」を選んだ人が8名(13%)チャレンジドも8名(13%)でした。その他は「他の表記がよい」や「現行表記でよい」など14名(23%)でした。


佐賀県が「障碍者」表記を薦めるにあたり実施したアンケート調査では新表記「障碍者」の支持が多数を占めたとのことです。


その後、内閣府は4月16日〜18日の3日間でインターネットによるアンケート調査を実施しました。全年齢層に亘り北海道から沖縄まで回答者は464人の障碍当事者を含む9000人とのこと。


その結果によれば「障害」の表記を「改めるべき」とした人21.9%、「不要」は43.0%。「改めるべき」とした人の40.9%が「障がい」で「障碍」は7.8%
「障害者」の妥当な表記は「障害者」が27.5%で「障がいのある人」が21.6%。「障がい者」は19.6%でチャレンジドが3.4%。「障碍者」は僅か2.4%。


要約すると、シンポ参加者は障害者の表記は変えるべきであり、変えるとすれば「障碍者」がよいということになり、内閣府への回答者は今のままの「障害者」でよいということになります。


そこで、この大きな乖離がどこから生じたかを考察してみました。


(1)アンケートへの回答者、
 シンポの参加者は障碍者問題に関心のある市民が多い一方で、内閣府のアンケートは不特定多数の一般市民を対象に実施されたもので障碍者問題に無関 心な人(他人事)が多いのが現状です。

(2)予備知識の有無
 シンポの参加者はシンポの場で問題点のありかやその背景などについて説明を受ける機会があり予備知識を備えての回答であったのに対し内閣府のアン ケートは問題点の充分な説明もなく唐突に問われた形になっています。

(3)アンケートの意図
 シンポは障碍者への理解を深めよう、遅れている障碍者福祉を前進させようとの意図で開催されたのに対し、内閣府のアンケートにはその点の配慮は見 られず、結果的にはむしろ文科省の意図・結論に誘導した形になっています。

(4)アンケートの趣旨の説明及び設問
 シンポの場ではアンケートの趣旨が回答者に充分周知されたのに対し、インターネットによる内閣府のアンケートの【調査の背景・趣旨】の説明は僅か に22行であり設問も僅か5問である。(5つの設問の内Q1とQ3は裏表の質問でほぼ同じ)


以上の4点が主因で乖離が生じたものと推定されます。内閣府のアンケート結果は、はからずも国民の障碍者問題への関心の低さを証明するものとなっています。


(3)及び(4)について以下付言します。

アンケート実施に際して内閣府が無垢の回答者に示した【調査の背景・趣旨】は僅かに22行でその限られた22行の中の6行を費やして以下の文章が記述されています。結論誘導の文章以外の何物でもありません。

QTE なお、現在、文化庁文化審議会(国語分科会漢字小委員会)において常用漢字表の見直しについて検討を行っているところですが、現行の常用漢字表に掲載されていない「碍」を追加することについては、4月13日の小委員会において、選定基準に照らして追加しないとの方針が確認されました。「障碍」は仏教用語の「障碍(ショウゲ)」から来ており「悪魔、怨霊などが邪魔すること」「たたり」などの意味で使用されてきたことも説明されています。UNQTE


国際的視野の欠落どころか、あるいは「害」と「碍」の語源の差異の説明もなく、障碍者福祉の推進を企図するでもなく、大昔の例外的な解釈である「悪魔・怨霊」を持ち出すとは空いた口が塞がりません。一体この国はどうなっているのでしょうか。


国が前進するにはたゆまぬ変革が必要であり、変革を実現するには国民への事前の徹底した周知が不可欠です。周知後の民意こそが真の民意と言えるでしょう。改定常用漢字表に196字も追加するのに、ひょっとして国民の意識の変革にも繋がるかもしれない「碍」の字一つを加えられないようでは中国どころか韓国の後塵をも拝することにもなりかねないと危惧します。