tokujirouの日記

古来バリアーは「障碍」と表記されました。江戸末期に「障害」が造語されましたが終戦まで人に対して「害」がつかわれることはありませんでした。「障害者」は誤表記です。「碍」の字を常用漢字に加えて「障碍者」に正常化を急ぎましょう。漢字文化圏では「障碍」が常識です。

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。(複製・配布歓迎します) https://bit.ly/2OIP0nX

「碍」と「害」−日本の場合

日本の辞書で「碍」と「害」がどのように扱われているかを調べてみました。


偶々芦屋市立図書館で見た漢字字源辞典(山田勝美氏ー中国哲学上智大、進藤英幸氏ー中国文学、明治大の編著、初版1995年7月20日 角川書店)には以下のように記述されていました。


【害】『字義』由(し)をもって冑、あるいは冠、または頭を覆う、すなわち「覆蓋(ふうがい)する意。
『借用』「傷害の意に使うのは借用で、この意味の本字は「割」である。
『意味』(竹かごで頭をおおうさま)〈借用〉(1)そこなう。きずつける。こわす(害悪・害毒・利害)(2)人を殺す(殺害)
(3)じゃまをする。さまたげる(妨害)(4)がい。さわり。わざわい。人為によらない災難(害虫・水害・災害・弊害)(5)大事な場所。攻めにくい所(要害)

*因みに同辞書の『割』には〈字義〉刀で解剖してばらばらにする意。〈延長〉ひいて「傷つける」「断ち切る」意となった。〈意味〉「刀で切り分ける」(1)わる。さくア。たちわる。ばらばらにする。(分割)イ。わける。わかつ。きりとる(割算・割譲・割愛)(2)わり。わりあい。比率(割引・割高)(3)十分の一(一割)


手元の実用国語新辞典(監修 井上宗雄・水口志計夫)には以下記載されています。

【害】(1)そこなう。きずつける。こわす。(被害)(2)さまたげる。さまたげ。(妨害)(3)わざわい。災難。(干害)

【碍】さまたげる。じゃまをする。さまたげ。(碍子・妨碍)


どうやら「害」には「そこなう」「きずつける」「こわす」など能動的な意味があるようです。語源からきたのでしょうか「人を殺す」の意味もあるようです。
これに対し「碍」の意味は「さまたげる」や「じゃまをする」などが主で「害」よりはおだやかな言葉であることがわかります。「碍」には「人を殺す」などといった物騒な意味はないようです。


4月13日の漢字小委員会で配布された資料には日本国語大辞典や角川古語大辞典、例文仏教大辞典、大辞林広辞苑などの何故か「障碍」(しょうがい)ではなく「しょうげ」(障礙・障碍)の項の写しが添付されており、仏語が転じて、ものごとの発生、持続などにあたってさまたげになること。転じて、悪魔、怨霊などが邪魔をすること。さわる、障害。と記されています。(日本国語大辞典)又、仏教語大辞典には障害。さまたげ。とくに仏の悟りをうるための仏道修行の邪魔をするさわり。また、悪魔・怨霊によるさまたげ・・との記述があります。例文として挙げられているのはいずれも1010年や1120年ころのもので、このITの時代に何をいまさらこのような古語の解釈が引っ張り出されるのか理解に苦しむところです。


一歩譲って古語との対比を認めるとしても「人を殺す」という意味を持つ「害」と「悪魔・怨霊のたたり」の「碍」のどちらがより悪い意味かは自明でしょう。


多くの道府県基礎自治体(市町村)が「障害」はイメージが悪いとして苦肉の策として「障がい」との交ぜがき表記を採用している根拠も「害」には「人を殺す」という意味がある、このへんにあるのではないかと推察されます。「害」より「碍」のほうがより悪い意味だとする文科省の見解には同意できません。韓国・台湾では戦前・戦後を通じて「障碍」「障碍人」が使用されているのに何等問題は起きておりません。