tokujirouの日記

古来バリアーは「障碍」と表記されました。江戸末期に「障害」が造語されましたが終戦まで人に対して「害」がつかわれることはありませんでした。「障害者」は誤表記です。「碍」の字を常用漢字に加えて「障碍者」に正常化を急ぎましょう。漢字文化圏では「障碍」が常識です。

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。(複製・配布歓迎します) https://bit.ly/2OIP0nX

「碍」の七不思議

「碍」の1字の改定常用漢字表への追加をめぐっては私には理解のできない不思議なことが多々あります。これまでに書いたもののおさらいを兼ねてまとめてみました。


その1. 29年ぶりに常用漢字が改定されることになり、この改定に国民の意見を反映させようと国は昨年春秋2回パブリックコメントを実施しました。その結果、追加希望字種として「碍」が上位を占めました。


「碍」の追加は唐突な要望ではなく、既に3年前に国民の代表である国会議員が国会で政府に追加を要望しています。今年になってからも答申前に1回、答申後に1回、追加を要望する主旨で国会で議論されています。新聞などのメデイアも国民の追加要望が多いことを報道しています。


国に国民の意向を汲み取ろうという気持ちさえあれば追加には何の障碍もないでしょう。2〜3文字の追加ならともかく196字も追加するのですから、これだけ国民の要望の多い「碍」がなぜ追加されないのか誠に不思議です。



その2. 新字種の追加にあたっては国に何等かの「基準」があるようですが、その「基準」が見えません。公表されていないのではないでしょうか。情報開示の時代に不思議です。その基準は法令化はされていないと思いますので文化審議会内部の内規なのでしょうか。国会で川端文相は「碍は基準に照らして合致しない」と答弁しておられますので、その「基準」なるものを開示していただきたいものです。それと今回追加される196字が全てその基準に合致しているかどうかも知りたいところです。


主要な基準である「出現頻度」なるものも、その算出根拠や、いつの時点での「出現頻度」なのかも知りたいところです。「出現頻度」の精度にも関心があります。仮に5年前のデータだとすれば「碍」の「出現頻度」は直近の5年で確実に増加し順位を上げているはずです。196字の中には本当に「碍」の頻度を下回る字は含まれていないのでしょうか。追加される196字の出現頻度一覧をみてみたいものです。国語審議会の議事録を見た限りではこのへんの基本的な議論がなされておらず不思議に思っています。



その3. 6月7日の答申に当たって文化審議会は「碍」の字についてのみ「障がい者制度改革推進本部」の意見を聞くことにしました。これも不思議です。「基準」に照らして合致しないのなら、そしてその「基準」に自信があるのであれば、断固として碍排除の方針を貫くべきでしょう。国民の意見は既に出ているわけですから国は「碍」を追加しない理由をその根拠と共に明確に示し、反論に答えるべきです。


これは「国語」の問題であり言葉は国民の共有物です。障碍者と深い関係を持った言葉ではあっても障碍者の専有物ではないはずです。「胃腸障害」や「肝機能障害」など医学用語とも関係し「障碍飛越競技」など馬術用語でもあり、運動会での「障碍物競争」あるいは「碍子」「碍管」など諸種の熟語を持つ技術用語でもあります。


29年前の常用漢字の見直し作業でこのような手法(特定の第3者からの意見聴取)を取られたことがあったでしょうか。さらには今度追加される196字について(例えば淫乱の「淫」や賄賂の「賂」の追加)についてその是非を第3者を交えてどれほど議論されたのでしょうか。なぜこの「碍」の1字を排斥するためにこれほどのエネルギーを費消されるのか不思議でなりません。



その4. 障碍団体のトップリーダーの皆さんが「碍」の追加に消極的なのも不思議な現象の一つです。「碍」の字が当用漢字から漏れたために教育の場から消えて65年が経ちますので70歳以下の人はこの字を学校では習わなかったことになります。しかしながら一般大衆ならともかく教養のある方々は読書を通じてこの字に触れる機会はあったと思います。「融通無碍」は「融通無害」とは書きません。碍子も一般用語として目にされているでしょう。


そうだとすれば、常用漢字への追加の問題と「しょうがい」の表記の問題とを混同しておられるのではないでしょうか。即ち、「碍」を追加すれば「障碍」「障碍者」表記を強制されてしまうと思い込んでおられるのかもしれません。その点は心配ご無用です。国(文科省)は「例え碍が追加されても国が障碍表記を強要するものではない」と明言しておられます。或いは今更面倒だと感じておられる方もいらっしゃるでしょう。更にはこの問題の背景にある客観的事実をご存知ないのかもしれません。


それに拍車をかけているのが国による誘導です。曰く、「害」より「碍」のほうがより悪い意味であるとか、戦前も「障害」表記が一般的であったとか。いずれも事実誤認でミスリードであると私は思っています。時が経てば障碍団体のリーダーの方々の理解も進むでしょう。この問題は時間が解決するものと信じています。



その5. 今年4月に内閣府が実施したネット調査も不思議です。「しょうがい」の表記についての国民の意識調査が目的ですが業者に委託しランダム方式で全国の不特定の9000人を対象に僅か3日間(4月16日〜18日)でインターネットで回答を求めたものです。その結果「障碍」表記の支持者は僅か2.4%でした。


推進会議の事務局(内閣府)はこの2.4%を根拠に如何に「障碍」表記を支持する国民がマイナーな存在であるかを推進会議の委員にインプットしました。


因みに「障害」の表記を変える必要がないとした人は回答者の43%、「必要」と答えた人は22%だったとのこと。そもそもこのような方式のアンケートがその目的達成に馴染むのかどうか。設問前の短い説明文も驚くべきものです。「国は碍の字を常用漢字に追加しない方針である」とか「碍の字には悪魔怨霊のたたりの意があり害よりもより悪い意味である」とかが記載されており、予備知識のない(碍の字が読めない、意味も知らない、ましてや問題の背景もご存じない)一般の人達は「ああそうか。それなら敢えて障害の表記を見直す必要はないな」ということになるのが自然でしょう。


誠に不思議な調査としか言いようがありません。それでも2割強の人が疑問を示したことになります。(詳しくは5月15日付弊日記(「碍」と諸種アンケート)をご覧ください。



その6. 「碍」の追加について文科省は若し障がい者制度改革推進本部(内閣府)が「しょうがい」の公式表記を「障碍」と「決定」するのであれば再検討するとしていますがこれも誠に不思議です。これまでにこのような手法で追加字種が決められた前例があるのでしょうか。公式表記を決めるには識者や的確な手段・手法による国民の意見の聴取が必要であり、関係省庁との調整にも相当な時間を必要とし、内閣告示を目前に控えて、とても短期間では結論が出ないことはご承知のはずです。


「碍」の追加問題と「しょうがい」の公式表記問題をリンクさせること自体が不自然です。繰り返しますが「障碍」は「障碍者」の専有用語ではありません。意図的に高いハードルを設けたとの憶測をよんでも不思議ではないでしょう。現在「障がい者制度改革推進会議」は「しょうがい」の公式表記を議論中ですが、事務局(内閣府)はその会議で「(しょうがい)の公式表記問題と「碍」の常用漢字への追加問題とをリンクして考える必要はない」とまで発言しています。


一寸待ってください。公式表記問題と追加問題をリンクさせた張本人は文化審議会文科省)です。それを内閣府が否定するのですからこれ以上の不思議はありません。もし内閣府に国民の意見に耳を傾けよう、国会での議員の発言・提言を尊重しようという気持ちがあるのであれば、事務局は「早くしないと告示に間に合いませんよ」と言うべきだと思うのですが、実際は全く逆の方向に誘導されています。



その7. 2001年に東京都多摩市が住民の要望に応えて「障がい」の交ぜがき表記を公式に採用して以来、この交ぜがき表記が燎原の火の如く全国に広がっています。2年前の時点で10の道府県と5つの政令指定都市が採用していました。基礎自治体(市町村)にもファッション的に拡散し、数えるのが面倒なほどです。民間もこれに倣っています。その割にはこの交ぜがき表記は巷間では必ずしも好評ではありません。肝心の障碍団体にも違和感を持つ人を多く見受けます。


その主な理由は「意図が見え透いている」ということのようです。「障がい者のための障害者自立支援法」といった表現を奇異に感じる人も多いのでしょう。国が作成する文書が公文書なら地方自治体のそれも公文書です。公文書で「障害」と「障がい」の複数の表記の混在状態が9年間も続いているのも不思議です。公文書の表記だけは一元化が必要ではないでしょうか。



他にも不思議なことはたくさんありますが七不思議としました。


「碍」の追加をめぐる情勢は、これまで述べたように「国会」「内閣府」「文科省」の三すくみ状態だと理解しています。「しょうがい」表記の再検討を指示した鳩山首相菅総理への交代もあってコンダクター不在の状況に見えます。本件は既に政治マターとなっており、政権与党たる民主党の政策の継続性を誇示するためにも早急な対応が求められています。時間はあまり残されていません。