tokujirouの日記

古来バリアーは「障碍」と表記されました。江戸末期に「障害」が造語されましたが終戦まで人に対して「害」がつかわれることはありませんでした。「障害者」は誤表記です。「碍」の字を常用漢字に加えて「障碍者」に正常化を急ぎましょう。漢字文化圏では「障碍」が常識です。

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。(複製・配布歓迎します) https://bit.ly/2OIP0nX

「碍」とDPI日本会議

DPI日本会議は Japan National Assembly of Disabled Peoples`International の略称で国際的NGOであるDPIの日本法人(NPO)です。所属団体は全国組織が10団体、地方組織が62団体で日本を代表する障碍者団体です。障がい者制度改革推進会議の尾上浩二委員はこの組織の事務局長であり、中西由起子委員、大濱真委員も常任委員です。同推進会議担当室の内閣府政策統括官付上席政策企画調査官である金政玉氏も常任委員に名を連ねておられます。世界のDPIの構成員としてアジア太平洋ブロック会議などの国際会議でも活躍中の国際性のある障碍者団体です。

同会議の西村正樹副議長が内閣府での「しょうがい」の表記に関するヒヤリングで発言された要旨が同会議のホームページで公開されていますので、全文を以下に掲載し、その後に私の感想と意見を述べさせていただきます。

【「障害」の表記に関する意見について】

DPI日本会議副議長
西村 正樹

1.社会モデルの考え方からみた「障害」の表記の在り方
○結論
「障害」を使用することが現段階では、適当である。
○理由
「障害者権利条約(以下、権利条約)」の英語の原文では、障害を、視覚、聴覚、肢体等の機能不全等を意味する「Impairment(機能障害または、機能不全)」と表記するとともに、機能障害等によってその人の生活や行動が制限・制約されることを「Disabilitie(社会的不備または社会的障害)」と表記している。
これは、障害者の社会参加の制限や制約の原因が、個人の属性としての「Impairment」にあるのではなく、「Impairment」と社会との相互作用によって生じるものであることを示している。そして、その表記として使用されているのが「Disabilities」である。
そして、障害者を権利条約では、「Persons with Disabilities」と表記し、「Impairment」のある人々は、その中に含まれると規定している。
以上の内容を踏まえ、現在、検討課題となっている「Persons with Disabilities」を日本語で表記することについては、これまでの議論とさきに内閣府が実施した調査結果を踏まえ、「障害」を使用することが適当である。
なお、「障害」を含め、各表記に関する現段階の評価は、以下のとおりである。

2.現在の見解―「障害」「障碍」「障がい」「しょうがい」「チャレンジド」等に対する意見
(1)「障害」について
○結論
上記1のとおり、現段階では、適当な表記である。
○理由
障害者は、自らが「差し障り」や「害悪」をもたらす存在であるとは、思っていない。また、多くの障害者は、社会にある多くの障害物や障壁こそが「障害者」をつくりだしていると思ってきた。そして、そうした社会に存在する障害物や障壁を改善または解消することが必要であると指摘してきた。
したがって「Disabilitie」は、現在、検討されている表記のなかでは、「障害」が最も適切な表記であり、それに準じて「Persons with Disabilities」も「障害者」と表記することが適切である。

(2)「障碍」について
○結論
よくわからない。
○理由
「障碍」については、「碍」の文字を障害者の現在の生活実態を社会モデル的視点から表現している意味をもつとの説明があるが、一方では、その語源を、仏教的な視点から極めて個人モデル的であり、ともすれば優性思想につながるのではないかと思われる説明もされてきた。
前者の意味からは、この表記(障碍)は、適切と思われるが、後者の語源からは、不適切であると判断されるかもしれない。
しかしながら、言葉は、そのもともとの意味が時のながれのなかで修正されてきた歴史的事実があることから、この語源にどこまでこだわるかも議論が分かれるかもしれないが、現在、課題とされている「障害の表記」の修正理由を考慮すると、新たに「障碍」の表記が取り入れられた後に、同様またはそれ以上の問題の指摘を受ける可能性も否定できない。
以上の理由で「障害」に優先する表記と判断することは困難である。

(3)「障がい」について
○結論
公式の「表記」としては、採用するべきでない。
○理由
「障害」を「障がい」と表記変更をもとめる主な理由は、人に対して「害」という文字を使用することは不適切であるとする理由である。しかし、これは、上記とも関連するが、明らかに「個人モデル」に基づく考え方である。
障害者の生活や活動を制限する「問題(障害)」は、社会にある。それを権利条約は、「Disabilitie」と表現し、社会モデルに基づく視点から障害者を「Persons with Disabilities」と表現したのである。
もし、「障がい」へ表記を公式に変更した場合は、権利条約履行のための問題の所在を曖昧にするとともに、今後、障害者基本法で定められる「障害の定義」との整合性も失うことになるといえる。
そして、当事者を中心として構成されている推進会議が、「障がい」の表記を採択するとすれば、第一次意見で示した「個人モデル」から「社会モデル」への転換との整合性にも疑問をいだかざるをえない。

(4)「しょうがい」について
上記の「障がい」と同様である。

(5)「チャレンジド」について
○結論
チャレンジドへの言い換えには、障害当事者としてきわめて大きな違和感があり、今回の例示のなかでも、最も賛成できない表記である。
○理由
チャレンジドは「障害者」を表す新しい米語「the challenged (挑戦という使命や課題、挑戦するチャンスや資格を与えられた人)」を語源とするとされるが、なぜ機能障害がある人だけが「チャレンジド」なのか意味不明である。
障害者への偏見や差別が存在する社会において、障害者だけがなぜそうした障壁の除去に前向きに頑張らなくてはならないのか。
こうした問題は、社会全体で改善するべき課題であり、障害者の頑張りを第一にもとめると受け止めさせるこの表記では、個人モデルを前提とした印象が強く、権利条約定義とは、明確に相反するものであると感じるため。

3.望ましい表記と、その表記による効果、周囲の反応等
○結論
将来的な議論とする。
○理由
権利条約では、「障害」を発展途上の概念としていることから、今後も、社会情勢の変化等によりその見直しは、必要になるかもしれない。
しかし、それは、将来の宿題とし、まずは、権利条約及び第一次意見で示しされた「個人モデル」から「社会モデル」に実質的な転換を障害当事者や関係者自身が体感できる社会へ移行していくことを最優先とするべきである。そして、そのために、障害者基本法改正を第一歩とした国内法制や個別施策の見直し等を、権利条約と当事者及び現場の実態を踏まえながら進めることが必要である。
「障害の表記」については、障害者を取り巻く社会や障害当事者及び関係者の意識等の変化を踏まえてから、改めて議論することが望ましいと思われる。


【豊田の感想と意見】

西村副議長のご意見を要約すると「(障碍)については(よくわからない)ので現段階では(障害)表記が適当と思うが引き続き検討が必要」ということになると思います。「碍」の字が目前から殆ど消えて70年、国民に馴染みのない漢字になってしまっており、加えて内閣府(推進会議の事務局)より、戦前も「障害」表記が一般的であったとか「害」より「碍」のほうがより悪い意味であるといったアンフェアーな(豊田はそう思っています)情報が審議直前に推進会議の委員の皆さんにインプットされたことを考慮すると正直なご意見であると思います。


「障がい」「しょうがい」「チャレンジド」の表記は不賛成とされていますが私も同感です。民間での表記は自由であるべきだと思いますが条約や法令などに使用する公式表記には馴染まないと考えます。


現段階で「障害」の表記が適当と主張される「理由」の部分は難解で私には理解が困難ですが、最後の部分に「さきに内閣府が実施した調査結果をふまえ、(障害)を使用することが適当である)と述べられています。私はこの内閣府の調査の手法そのものがアンフェアーであると主張しているところです。
(弊日記5月15日付「碍」と諸種アンケート結果及び10月19日付「碍」の七不思議をご参照ください)


私は「障害」表記こそが「医学モデル(個人モデル)」であり「障碍」が「社会モデル」であると考えていますが皆さんはどう思われるでしょうか。


公式表記問題の議論に当たっては若干の教養が必要であり、不特定多数を対象とした「多数決」には馴染まないと考えています。


DPI日本会議は国際的にも活動しておられます。同じ漢字圏の実情も勘案されては如何でしょうか。韓国ではハングル表記が進んでいますが知識層は漢字を多用しているのも事実です。


いずれにせよ完璧な正解はないと思います。どの表記がよりよいものであるかを模索すべきでしょう。