tokujirouの日記

古来バリアーは「障碍」と表記されました。江戸末期に「障害」が造語されましたが終戦まで人に対して「害」がつかわれることはありませんでした。「障害者」は誤表記です。「碍」の字を常用漢字に加えて「障碍者」に正常化を急ぎましょう。漢字文化圏では「障碍」が常識です。

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。(複製・配布歓迎します) https://bit.ly/2OIP0nX

「障碍」表記の普及状況(2)

 「障碍」の表記問題に関連して、文科省は明治期より終戦前にかけて「障害」と「障碍」が混用され、むしろ「障害」の使用が多かったのではないかとしていますが果たしてそう簡単に片付けていいものでしょうか。その使用例として森鴎外が「障碍」を使用したのに対し、夏目漱石は「障害」を使用したことを挙げています。漱石は「我輩は猫である」の中で「障害」を使用しています。即ち「毫も内臓の諸機関に障害を生ぜず」と記しています。


 余談ですが第41回国語分科会漢字小委員会で出久根委員が(明治期の「障害」表記の対象は事物や現象であり、人間を対象にして使用し始めたのは戦後になってからである)と指摘されたのに対し文科省漱石のこの部分の記述を例に取り「内臓諸機関ですから、身体にかかわるところに障害を当てているという、明治30年代の例です」と答えています。(同委員会議事録より)猫と人間を一緒にした驚くべき強弁です。出久根委員とは出久根達郎氏のことで直木賞作家です。「碍」の追加をめぐっては正論を展開されましたが孤立無援で多勢に無勢でした。


 現に鴎外は「障碍」を愛用していました。本名は森林太郎で文筆家のほか医者・官僚・軍人と多才でした。「障害」の表記が当初は医学用語として生まれたとすれば鴎外は「障害」と「障碍」をきちんと使い分けていたことになります。(医学では「障害」文学では「障碍」)


 少し古いのですがNHK福祉ネットワークの案内文に以下のような記述がありました。

・・・【解説】”障がい者”の表記の経緯・・・・

「しょうがい」はもともと医学用語であり「障害」「障碍」は明治時代に作られた用法と言われている。
元来は「がい」に「碍」を使っていたと1932年に施行された救護法(「精神または身体的障碍のある者」)
を根拠にした意見がある。以下省略(2010・1・26)


 私の仮説も「障碍」は仏教用語として古来より伝承されたものであるのに対し「障害」は江戸末期に外国語(医学用語)を翻訳する過程で造語されたのではないかというものです。例えば Mental Disorder=精神障害。そうだとすれば
「障害」は医学モデルであるのに対し「障碍」は社会モデルということになり、「障碍」こそ障碍者権利条約が目指す
医学モデルより社会モデルへの移行にぴたりと合致した表記ということになります。私の仮説の裏づけを見出すべく、文京区本郷図書館鴎外記念室を訪ねてみたいと思っています。


 「障害」が幕末〜明治初期の造語だとすれば進取の気運に富んだ漱石は敢えてこの新語を使用したのではないで
しょうか。ましてや対象が猫であり人間ではありませんので。あるいは内臓関連の記述ですから医学を意識しての使用だったかもしれません。Obstacle や Barrier など 「障碍物」の意味であれば漱石も「障害」ではなく「障碍」を使用したでしょう。


 以上より、明治期から終戦前にかけて「しょうがい」の表記は「障碍」と「障害」が混在(ほぼ五分五分)したことは事実ですが、すくなくとも明治初期においては「障碍」は 「Obstacle」の意味で使用され「障害」は「胃腸障害」Stomach Disorder「精神障害」Mental Disorderなどの医学面で使用されたものと思われます。それが発音が同じであるということもあって、又対象が事物・現象に限定されていたこともあり、その後徐々に混用が拡散したものと推定します。出久根達郎氏も指摘されているとおり「障碍者」という概念は戦後出現したものであり、若し明治期に欧米より「障碍者」という概念が導入されていたら、漢字の語源などにも明るかった先人は決して「障害者」などといった不当な表記は採用しなかったことは容易に想像可能です。


よってこの表記問題は、一に福祉に関連して「障碍者」という総称概念が欧米よりもたらされた戦後の問題であると言えましょう。