tokujirouの日記

古来バリアーは「障碍」と表記されました。江戸末期に「障害」が造語されましたが終戦まで人に対して「害」がつかわれることはありませんでした。「障害者」は誤表記です。「碍」の字を常用漢字に加えて「障碍者」に正常化を急ぎましょう。漢字文化圏では「障碍」が常識です。

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。(複製・配布歓迎します) https://bit.ly/2OIP0nX

「障碍」表記の普及状況(3)

 第二次世界大戦後の「障碍」表記の使用状況・普及状況について書いてみます。日本の敗戦を決定づけたポッダム宣言の文中のobstacleが「障礙」と和訳されていることは先に書いたとおりです。「礙」は「碍」の元字で同義語です。これ以上の公文書はないでしょう。大学後輩の康本昭赫君(元産経新聞記者)に教えてもらったものです。


 終戦の翌年の1946年には漢字の制限を目的とした当用漢字が制定されました。GHQの指導によるものとされていますが日本側の一部にも志賀直哉など漢字廃止論があったようです。「碍」の字は当用漢字1850字に含まれず、教科書や新聞など日常の場から消えました。


 日常の場から消えはしましたが、主に知識層の間で「障碍」の表記が使用され続けました。ぴったりした代替表記がなかったからでしょう。当用漢字の公布から10年経過した1956年、文部省は他の熟語と共にですが「障碍」を「障害」
に書き換えるよう広く一般国民を対象に指導しました。これにより「障害」表記が定着することになります。若年層を中心に、もはや「碍」の意味も理解されず読むこともできなくなりました。


 その後、漢字の廃止は無理であることが判明し、1981年に35年ぶりに見直された当用漢字は常用漢字と改称され「使用上の目安」と位置づけられました。字数は1850字から95字増え1945字となりましたがこの時は未だパブリックコメントの募集などの手法はなく「碍」の追加は話題になりませんでした。そして今回の29年ぶりの改訂常用漢字となり2,136字となりました。


 このような次第で1946年に制定された当用漢字から「碍」の字が消えて67年が経過し、今やこの字が読める人も字義を解する人も少なくなっています。その中にあって戦後も終始一貫「障碍」表記を使い続けた人、使い続けている人達、「障碍」表記の復活を目指して主張を続けている人達(個人及び団体)も多くおられます。


 著名な個人としては先ず【福田恒存(つねあり)】を挙げなければなりません。評論家・翻訳家・劇作家・演出家
ですが何と言っても20世紀を代表する思想家として高名です。戦後の国語国字改革を批判し当用漢字の不合理を指摘したことでも有名です。「障碍」の表記では「障害」への書き換え指導を拒否し終生「障碍」表記に固執しました。ネット上の「月のヒカリ」さんも福田先生の著作がきっかけで「障碍」表記を開始したとのこと。


 社会学者の【加藤秀俊】はハーバード大を含む諸大学の研究員や教授を経て日本育英会の会長に就任。この間国語審議会の委員も務めました。現在も産経新聞の「正論」の執筆を継続中ですが過去に2回常用漢字に関連して「障碍」の表記問題が採り上げられています。曰く(跳び箱に何の害があろうか、「障害物」は「障碍物」と表記すべき)など。

 文壇では芥川賞作家の【平野啓一郎】が「障碍」表記を使用しています。京大法卒37歳、新進気鋭の作家ですが傾倒した作家が三島由紀夫森鴎外・シャルルボードレールということですのでおそらく鴎外の影響を受けたものではないかと推測されます。新聞に連載中の小説の中に記載があったのを幣社福の寺内理事長に教えてもらったものです。


 翻訳家の【戸田裕之】も「障碍」表記を愛用しています。早大卒で新潮編集者から翻訳家に転じたものです。先の
ポッダム宣言の和訳同様obstacleを「障碍」と翻訳しています。この表記問題は英語の和訳との関係で考察すると理解が容易であると思われます。即ち obstacle=碍 であり harm or kill=害 です。obstacle×害 で harm×碍 です。これも友人の的場従旨兄がジェフリーアーチャー著、戸田裕之訳「時のみぞ知る」の下巻49ページに使用例がある旨知らせてくれたものです。因みに訳文は「予想外の障碍が立ちはだからない限り、彼女はこれから五年間、ハリーをあの学校へ通わせられるはずです。」となっています。