tokujirouの日記

古来バリアーは「障碍」と表記されました。江戸末期に「障害」が造語されましたが終戦まで人に対して「害」がつかわれることはありませんでした。「障害者」は誤表記です。「碍」の字を常用漢字に加えて「障碍者」に正常化を急ぎましょう。漢字文化圏では「障碍」が常識です。

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。(複製・配布歓迎します) https://bit.ly/2OIP0nX

「碍」と佐藤久夫先生

佐藤久夫先生は日本社会事業大学の教授です。日本障害者協議会(JD)の理事でもあります。内閣府障がい者制度改革推進会議の24名の正委員の1人であることはみなさんご存知のとうりです。同推進会議の総合福祉部会の部会長も勤めておられます。

文科省(国語審議会)は何故か当初より「碍」の字の常用漢字への追加に消極的であり(頑ななまでの大反対とも言えます)、これを受けて内閣府も追加しない方向に推進会議を誘導して今日に至っておりますが、その中にあって、佐藤先生は推進会議で終始一貫、まさに孤軍奮闘の形で「障碍」表記の妥当性を主張され、第2次意見書にみられるように、本件を、むりやり継続審議に持ち込まれたご努力には頭が下がる思いをしております。日本にも良識が残っていたなと実感した次第です。佐藤先生なかりせば本件は当局の意のままに雲散霧消していたことは確実です。

第5回推進会議(2010年3月19日)での障碍の表記に関する議論を前に、各委員から提出された意見書の中で、佐藤委員の回答の要点を以下に転載します。議論のスタート時点のご意見です。

設問1:法令等における「障害」の表記のありかたについては、「害」の字がマイナスイメージを与えることから、「障害」の表記を見直すべきとの意見があるが、これについてどう考えるか。

佐藤委員回答:賛成。より適切な言葉を使うことにより、より適切な理解が広がりやすくなる。1980年代初めに「不具・廃失」などの用語を廃止したことによって、古い観念(障害者=無能な人、期待できない人、何もできない人などの)からの脱却がある程度は促されたものと思われる。

日常生活や社会生活上の支障・困難の原因が本人にあるとおもわせる「障害」の表記は、明らかに障害者権利条約やICFの障害概念(環境と機能障害の相互作用による参加の困難)とは異なる時代遅れのものであり、変更すべきである。

ただし、どういう言葉を使うかより、どんな意味で使うか(どんな障害観・障害者観をその言葉に含めるか)の方がより重要である。

障害分野とは少し違うが、株式会社系の介護保険事業所などで「ご利用者様」という表現が最近よく使われる。新任職員にも利用者の意向を尊重させるという職員教育的な意味があるのかとも思われるが、この言葉が感じさせる距離感や個別ニーズの軽視(誤解かもしれませんが)は、人間一人一人に寄り添い、その幸福を目指す社会福祉ソーシャルワークとは違う感じがする。

そしてその障害観・障害者観にもっとも強い影響を与えるのは、国・自治体の障害者制度・政策、そしてその基礎にある姿勢である。つまり同じ市民としての平等な社会参加の実現に本気で取組んでいるかどうかを市民は見ている。

差別、貧困、失業、社会的入院や長期施設入所、情報格差などをやむおえないものと思いつつ単にポーズとしてその解決を掲げているのか、本気で放置できないと受止めて取組むかである。良いか悪いかとは別に現実として、法律や政策は日本では非常に強い教育的意味を持っている。おそらく他の国以上に日本では政府や自治体に対する信頼度が高く、その視点や価値観が大きな影響力を持つ。新しいきれいな言葉にも、このような政策・政策姿勢の差がやがて反映し、言葉の意味やイメージを作り上げる。

「障害」「身体障害」という言葉も、他の制度で「不具・廃失」などが使われていた時代、1950年施行の身体障害者福祉法で新しい期待を込めて使われた。仕事もなく、駅頭で物乞いをするような惨めな生活ではなく、補装具や授産訓練で職業自立を図れるように支援しよう、人間としての尊厳を回復しようと。当時それなりに「よい」とされた言葉が、その後の当事者や関係者の努力と国際的な進展によって、すでに乗り越えるべきものとされるようになったのである。この歴史をふりかえると、この「制度改革」は障害の言葉の見直しを避けるわけには行かないと思う。

設問2:「障害」という表記を見直す場合、以下のような可能性を提案する意見もあるが、どう考えるか。
    ①「障がい」②「障碍」
    それ以外の提案はあるか。

佐藤委員回答:「障碍」がよいと思う。「碍」の本字は「礙」であり、この意味は「旅人が道をふさいでいる大きな石の前で立ち止まってどうしたらよいか考え込んでいる姿」と香港の大学教員から説明を受けた。(10年ほど前に、香港私立大学助教授で国際リハビリテーション協会(RI)社会委員長、ショセフ・コック氏から、故埼玉県立大学丸山一郎氏などとともに)。

環境の障壁を前に立ち止まっているとの意味は、現実を反映しており、また障害者権利条約やICFの視点からしても適切な表現と思われる。

また、前記のように、60年ぶりの歴史的な見直しであることを考えると「障害」から「障碍」へは、あまりにもつつましいとも思われる。より大胆な提案も検討すべきではないか。

個々の障害者は、総称をどう表記するかについての多様な意見を持っているはずである。「推進会議」は一定のリーダーシップは必要であろうが、1本に決めるのではなく、広く障害当事者の意見を聞く方法を検討し、実行すべきであろう。この会議の理念は障害当事者の意見を尊重して制度を決めるということであるので。

たとへば3つ程度の候補を決めて、障害当事者と家族への全国アンケートを実施し、100万人(10万人?)からの回答があった時点で最大のものに決定するなどとしたらどうであろうか。あるいは1年(または2年)後の時点で集計で決定など。

障害当事者にも家族にも、障害のない市民やマスコミにも、障害とは何か、社会は障害とどうともに歩いて行くのか、じっくりと考え議論する機会になるのではないか。


以上は「しょうがい」の表記についての議論のスタート時点での佐藤先生のご意見であり推進会議でもこの主旨で積極的に発言されました。議論開始の前に事務方より「本件は常用漢字への追加問題とはリンクしないで議論されたい」とのコメントが出されいます。

その後佐藤先生は本件に付、推進会議で多勢に無勢の中で度々積極的に発言しておられますが、その内容は議事録が整い次第転載する予定です。