tokujirouの日記

古来バリアーは「障碍」と表記されました。江戸末期に「障害」が造語されましたが終戦まで人に対して「害」がつかわれることはありませんでした。「障害者」は誤表記です。「碍」の字を常用漢字に加えて「障碍者」に正常化を急ぎましょう。漢字文化圏では「障碍」が常識です。

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。(複製・配布歓迎します) https://bit.ly/2OIP0nX

「碍」と文化庁国語課

 障がい者制度改革推進会議の「障害」の表記に関する作業チームが実施したヒアリングに関連して文化庁国語課の氏原主任調査官より提出された資料(障害の表記について平成22年9月6日)を再読してみました。「碍」関連の貴重な資料を沢山ご提供いただいており深謝申し上げる次第です。


 レジュメ(「障害」と「障碍(障礙)」について)の①で「障碍は・・・仏教語から転じて平安末期以降「悪魔、怨霊などが邪魔すること。さわり。障害。」の意味で多く使われてきた。・・・との記述がありますが、果たして「多く使われてきた」と言い切れるのでしょうか。浄土真宗如来寺の住職藤谷信道師によれば「障碍」は仏教経典などでは
殆どobstacleの意味で使用され、市中で一般に使用されたとしても「悪魔・怨霊云々は例外的な用法ではなかろうか」とのことでした。従い「碍」には「害」と同等の悪い意味があるとする説明には無理があるように感じられますがいかがでしょうか。


 ②では・・・・大正期になると、「しょうがい」の表記としては「障碍(礙)」が一部で用いられるものの、「障害」のほうが一般的になる。・・・・と記述されています。この根拠は太陽コーパスのデータだと思いますが、大正6年の出現頻度は「障害」が20に対し「障碍(礙)」も20となっています。大正14年は「障害」25に対し「障碍(礙)」9、
大正期計「障害」45「障碍(礙)」29で60%:40%の比率となっています。果たして40%は「全体の一部」と言えるのでしょうか。60%だけで「一般的」と言えるのでしょうか。その前に大正期は僅か15年であり、しかも僅かなデータから割り出した数値であり、そもそも太陽コーパスのデータの採取時期や手段の問題が明確でない以上、「戦前の出現頻度・使用頻度は凡そ五分五分であった」(又は54:46)とするのが妥当かと愚考します。


 「しょうがい」表記のこれまでの経緯を記述する場合には、又「碍」の出現頻度が減じた理由を述べる場合には、
1946年(昭和21年)終戦翌年、直ぐに制定された当用漢字から「碍」の字が外されたこと、更には1956年(昭和31年)に実施された文部省による「障碍」から「障害」への書き換え指導があったことは国民に説明すべきだと思います。(書き換え指導については当時漢字制限の方向にあり、やむおえぬ指導であったと考えます)


 なお、資料・別紙6に《法律における「障害者」などの使用例》が添付されていますが、当用漢字の制定は1946(昭和21年)であり、それ以降に制定された法律の障害者表記が「身体障害者」などとなっていることは当然です。



 常用漢字の選定が使用頻度・出現頻度だけの多数決には馴染まないものであることは当然であり、国語文化の健全な発展に向けてマクロの視点からの調整・誘導も不可欠と思われます。