tokujirouの日記

古来バリアーは「障碍」と表記されました。江戸末期に「障害」が造語されましたが終戦まで人に対して「害」がつかわれることはありませんでした。「障害者」は誤表記です。「碍」の字を常用漢字に加えて「障碍者」に正常化を急ぎましょう。漢字文化圏では「障碍」が常識です。

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。(複製・配布歓迎します) https://bit.ly/2OIP0nX

「碍」と「布令字弁」

 「障」に「害」を加えた「障害」という熟語が日本独特の造語で他の漢字圏諸国では見当たらない表記であることは昨日触れました。日本以外の漢字圏で使用されている「障」と「害」にかかわる熟語には次のようなものがあります。「障碍」「障壁」「傷害」「殺害」。因みに「公害」は日本から輸出された「造語」です。

 そうだとすれば、「障害」という日本固有の表記(和製漢語)は、いつごろ、なにゆえ造られたのかとの疑問が湧いてきます。

 「障礙」(ショウガイ・ショウゲ)という熟語が仏教の経典と共に渡来したことは容易に想像されます。この「礙」を正字として、時期の特定は困難ですが略字の「碍」も比較的早い時期から使われたものと推定されます。

 緒方洪庵研究家の中田雅博先生によれば、洪庵先生は西洋医学書を翻訳するにあたり、さわり・さまたげに相当する言葉(例えば hinder など)は すべて「障碍」と訳され「碍」を多用されていたとのこと、他方、当時の医学書関係で「障害」という字にお目にかかったことはないとのことでした。

 緒方洪庵先生(1810〜1863)は当時の医学界の第一人者であり、相当の影響力を保持しておられたと推察されますので医学界で「障害」表記が使用されていた確率は相当に低いものと推察されます。

 中田雅博先生によれば、明治4年に出版された「布令字弁」三篇に「障害」の字が出てくるとのこと。わたくしも自分の目で確かめるべく一昨日、大阪府立中央図書館を訪ね拝見しました。「布令字弁」は平成7年発行の明治期漢語辞書大系の第一巻に収められていました。「増補布令字弁」遺漏は第七巻に載っていました。

 「布令字弁」は「政府の法令に含まれうる漢語を集めたもの(中田雅博)」とのことです。なお、
「布令字弁」の末尾には「官許 明治四年辛未年二月上梓 大阪心斎橋通南壱丁目 大野木市兵衛
同所 松村九兵衛 同 北久太郎町 柳原喜兵衛」とありますので明治新政府公認の辞書ということになります。これはよく売れ翌明治5年には増補版が出たとあります。

 「障害」は第一巻セ之部に「障害 セウガイ ササワリ、ソコナフ」として、第七巻遺漏、シ之部に
「障害 シャウカイ ササハリゴト」として載っています。他方「障礙」「障碍」はどこにも見当たりませんでした。

 明治期漢語辞書大系の「刊行のことば」には次のように書かれています。

明治維新は突如として、漢語辞書の刊行ブームを巻き起こした。即ち、慶応四年・明治元年(西暦1868年)、「内外新報字類」「新令辞解」に始まる新聞雑誌や太政官布告、さらには漢籍を読むための漢語辞書類の出版である。・・中略・・・漢語辞書の刊行は、維新政府の布告・布令や、新聞・雑誌類、あるいは漢籍を読むために、従来知識人だけのものであった漢語を習得・理解しようとする、大衆の欲求に始まる。新しい文化を吸収して、新時代に乗り遅れまいとする新知識人の誕生である。漢語の大衆化と言ってもよかろう。漢語は従来から用いられていた語だけではなく、新しく造られたもの、新しい語義を与えられたものも多く、外国語の訳語として生まれたものも数多い。これら漢語の全体を把握することは、近代日本の文化を理解する上でも重要である。・・・・後略・・・・・』   

 上記の文中にあるように、維新前後には外国語の訳語として、あるいは漢語の大衆化の過程で多くの言葉が新しく造られたり、新しい語義が与えられたりしたものと思われます。

 古来の「障礙」「障碍」に加えて日本固有の「障害」という言葉がこの時期に生まれたとしても不思議ではないように思います。偶然なのかあるいは根拠があってのことなのかは別にして。

 明治新政府は慶応4年〜明治元年の間に神仏分離令を発しています。維新政府が「王政復古」「祭政一致」の理想を実現するため、神道国教化の方針を採用し、神仏習合を禁止するための措置でした。背景には平田派国学者の影響もあったとされています。

「布令字弁」に「障害」が載っていて「障礙」「障碍」が省かれているのはなぜか。載せるのを失念したのであれば増補や遺漏で補えたはずです。

 理由としては前述の維新政府の「神仏分離の方針」との関係が考えられます。「障礙」「障碍」の出所が仏教の経典であることは明白です。この仏教の象徴的な文字の一つである「障礙」「障碍」を「布令字弁」から省くよう官側が命じたか、あるいは官許を受けた出版側が新政府の方針に配慮して意識的に外したのか。

 いずれにせよこの「布令字弁」が向後の漢語使用の目安の役割を果たしたことは疑う余地がありません。よく売れたとのことですから従来の知識人が重宝したと同時に漢語の大衆化に大いに貢献したことでしょう。目安になったという点では後の当用漢字や常用漢字と相通じるものがあるでしょう。