tokujirouの日記

古来バリアーは「障碍」と表記されました。江戸末期に「障害」が造語されましたが終戦まで人に対して「害」がつかわれることはありませんでした。「障害者」は誤表記です。「碍」の字を常用漢字に加えて「障碍者」に正常化を急ぎましょう。漢字文化圏では「障碍」が常識です。

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。(複製・配布歓迎します) https://bit.ly/2OIP0nX

「碍」と内田伸子女史

5年前の常用漢字改訂時、「碍」の追加の可否をめぐる議論の主要な部分は平成22年4月13日に開催された第41回の漢字小委員会議事録に網羅されていると思っていたところ、それ以前の第37回、第38回でも委員の意見が示されていることがわかりました。特筆すべきは内田伸子委員による交ぜ書き絶対反対論と「碍」の追加大賛成発言、です。内田女史はお茶の水女子大学の名誉教授で元副学長です。専門分野は発達心理学

以下は第37回第38回の議事録からの一部転載です。

(第37回)

○内田委員
 飽くまでも、この常用漢字表は許容できる目安を示すという、その前提に立って、私も発言します。「障碍」の「碍」というのは先ほど反対意見その他、「ショウガイ」という単語自体も追放すべきであるというような意見もある、それは、よく承知しております。語源とか意味とかを考えますと、「害を与える」の「害」それから「碍」、どちらもちょっと共通する部分と違う部分がございます。医学分野などでは交ぜ書きを使っているわけで、それは常用漢字表にないという、それが根拠になっての交ぜ書きです。一方、心理学では「碍」を使うようにしているのですね。そうでないと、やはり「害を与える存在である」というような非常にネガテイブ(negative)な価値観が伴ってしまうということがありまして、あえて「碍」を使うというのが一般的でございます。
 それで、許容されるものであるならば、やはり「碍」があることによって、私たちが使う字に対するセンシテイビテイ(sensitivity)とか、それから価値観を問われるチャンスになる。この言葉が残っている以上、やはりそれは「碍」を載せて、括弧として「「害」もある・・・」というような形でやっていただくわけには行かないだろうかと思うんです。とにかく交ぜ書きは、もう絶対反対、熟語の交ぜ書きは絶対反対です。送り仮名も平仮名は外していく方向にありますし、そういったところがございまして、これを何とか20名の方が入れてほしいという意見もあり、追加していただけないか、これを感じながら伺っておりました。でもまあ、こだわるのはやめようという思いももう一方でございますが・・・・。

(第38回)

○内田委員
 私はそれとは逆でして、前回も申しましたように、やはりこの「碍」の字を入れていただきたい。

 今回、この寄せられた意見を全部読ませていただきまして、やはり先ほどのご意見に目が止まりました。その方の論点というのは、改訂常用漢字表が想定されるべき国民の国語能力にも非常に大きな影響を与えることになるということを大前提にした上で、「障がい者制度改革推進本部」で今検討中であり、障害者団体にもいろんな意見があるゆえに、「漢字小委員会で先行して判断すべきでない」という結論を出しておられるんです。そして、この方の文字遣いを見ていますと、すべてご自分の意見のところは「害」を使っておられるんです。私もこの漢字小委員会の委員になるまでは、うっかりと「害」の字を使うことが多うございました。しかし、やはり文字のニュアンスというのを感じまして、この「害」を使うということは本当に良くないんじゃないかなと、社会的な偏見、つまり周りに害を与える厄介者というニュアンスが非常に強いので、やっぱりこれは良くないなと思って、いろんな辞典、障害児心理学という領域があるのでその分野で調べてみたんですが、やはり「碍」の方を使っているか、「障がい」と交ぜ書きにせざるを得ないということで、辞典では交ぜ書きが使われているという状況です。

 先ほど氏原主任国語調査官から、「障がい」という交ぜ書きについての鳩山首相の言葉を披露していただきましたけれども、それは平仮名を使うことに意味があるということではなく、「害」を使わないことに意味があるということを言うための表現であったと私は受け止めていました。やはりこの「改訂常用漢字表」の中に「害」しか入れていないからこそ、「障害」と当て字になってしまうので、「害」を入れるなら、「障害」が使われないように「碍」は入れるべきではないでしょうか。

 「碍」に関しては、障害を持っていらっしゃる方も持っていらっしゃらない方もコメントしておられましたが、障害のある方のほとんどは「碍」を入れてほしいというものでした。恐らく、私が漢字小委員会の委員でなかったら、やはりこのようなコメントを寄せただろうと思います。今回はこれらを拝見して、ますます入れていただきたい、強く希望したいと思います。
 
 私自身は、「碍」の問題は、漢字小委員会の仕事だと思うのです。つまり、国民の国語能力についてだけではなく、やっぱり社会的な偏見を引き起こすような、それを残してしまう危惧を絶つために、むしろ、この委員会で積極的に取り入れ、ある種の価値観というのを示していくということは大事なのではないかと思います。

以上が内田委員の発言記録ですが、ご意見に100%賛成です。出久根委員の前向きな姿勢に加えて、このような見事な賛成意見が述べられているのに結果はご承知のとおりです。


(追記:その後、内田委員は第41回漢字小委員会で氏原主任国語調査官の説得に応じる形で、以下発言しておられます。)

○内田委員
 お見事です。今ずっと検証のプロセスを聞かせていただいて、説得されました。漢字の意味の変容を動機付けるものというのは、結局は使用者の側の心の持ちようであるということを実感させていただきました。偏見が生まれた時に、「障害」が、それが害をもたらすというように読み取ってしまう、心の側の問題なんだというふうに思ったんです。今回のこの字の検討を通して、使用者側にある偏見というものを対象化する契機を与えていただいたように思います。
 先ほど氏原主任調査官が言われたように、使われていないからこそ、「障碍」のほうがあかにまみれていない。心を映すものとしてイメージをわかせるものではないがために、私自身も「碍」を、差し障りを自分の身が受けるという、主体の側に引き付けて読み取るというような、読み取り方をしていたんだなというふうに思います。
 ですから、結論としては、やはり選定基準に従うということと、それから、社会政策の問題として、これから決まっていったときに改めて検討をするというふうなところが非常に妥当であると思いました。この検証のプロセスを是非論文に書いていただいて、学会に発表されてはどうでしょうか。すばらしい検証だと思います。感銘を受けました。


 出久根委員は、第38回の小委員会でも意見を述べておられますので以下に付記します。(tokujirouの日記2015年10月25日付「「碍」と出久根達郎」もご参照下さい)

○出久根委員
 私どものこの漢字小委員会というのは、やっぱり今の時代を反映させた言葉を入れていくというのが本当の基本だろうと思うんです。言葉自体はそもそも古いものです。ただ、今の時代の生活に合わないものというのは余り使われなくなるんで、これはもう削除してもしようがないと思うんです。けれども、例えば「障害」の「害」なんていうのは、10年前ぐらいはこんなことは言われなかったわけです。こんな「害がある」なんていうことはだれもそういう意味を考えもしなかった。ところが、ここへ来ましてにわかに出てきたということは、そういう時代になったということです。言葉の意味を一つ一つ私どもは知らず知らずに使っていたけれども、よくよく考えてみればこういうことがあったんだということに気付いたわけです。これはいいことだろうと思うんです。私どもの漢字小委員会というのは、そういうものをすくい上げていくという役割もあるんじゃないかと思うんです。これを一概に、それはちょっと言葉としては・・・・、というんじゃなしに、一応そういう声が上がってきたからには、私どもも一応は全部検討してみて、そして削除するなり、入れていくなり、追加するなり、そうすべきだろうと思います。

 ですから、「障害」という言葉の問題というのは、今回は一番大きいことじゃないかと思うんです。なまじ先送りして、例えば政府がどういうふうに出るかというよりも、私どもの姿勢というのはやっぱり示すべきだろうと思うんです。いろんな意見が出たということだけでもいいと思うんです。反対もあり、賛成もあったということで、これが出ないこと自体がやっぱりおかしなことだろうと思うんです。 
                                        以上