tokujirouの日記

古来バリアーは「障碍」と表記されました。江戸末期に「障害」が造語されましたが終戦まで人に対して「害」がつかわれることはありませんでした。「障害者」は誤表記です。「碍」の字を常用漢字に加えて「障碍者」に正常化を急ぎましょう。漢字文化圏では「障碍」が常識です。

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。(複製・配布歓迎します) https://bit.ly/2OIP0nX

「碍」と「害」の字の由来

「障碍」の字の由来について、故丸山一郎先生(元埼玉県立大学教授)は5年前の小論文に「碍の本字は礙であり、大きな岩を前に人が思案し悩んでいる様を示す。つまり自分の意思が通じない困った状態。意思が通らない、妨げられているという同じ意味の障と碍を重ねた障碍は人が困難に直面していることを示す言葉であった」と書いておられます。この「障碍」こそが「チャレンジド」の的確な邦訳であると主張する人もいますが同感です。


内閣府障がい者制度改革推進会議の構成員である佐藤久夫先生(日本社会事業大学教授)が同会議へ提出された資料によれば、佐藤教授は10年前、香港を訪問された際に丸山教授とご一緒に国際リハビリテーション協会(IR)社会委員長ジョセフ・コック氏から上記の「障碍」の由来の話を聞かれたとのこと。


他方「害」の字の由来、語源はどうでしょうか。一般にはこの字にはマイナスイメージがあるといわれていますが確かに害の熟語は全てマイナスイメージでプラスイメージの熟語は皆無です。


全訳漢字海(三省堂)に記載されている熟語は【前熟語】害悪・害意・害毒・害虫・害鳥・害心・害馬【後熟語】加害・禍害・干害・寒害・危害・凶害・公害・災害・殺害・惨害・残害・自害・実害・障害・傷害・侵害・阻害・霜害・賊害・損害・毒害・迫害・被害・風害・弊害・妨害・無害・薬害・厄害・有害・要害・冷害であり無害以外は全て負のイメージの言葉です。


しかしながらイメージが悪いというだけで、地方自治体が国に先行して安易に表記を変更するでしょうか。既に10の道府県と5つの政令指定都市が「障がい」との交ぜがきを採用しています。市町レベルでの採用は無数と言ってよいでしょう。そもそも戦後に福祉施策を始めるにあたり傷痍軍人など身体の不自由な人々を総称する際に「障害」を人にあてはめて「障害者」としたこと自体に誤りがあり、それを是正しようとする動きであると考えるのが自然でしょう。
(障碍は碍が当用漢字からはずれ使用できなかった)


そこで「害」の字の成り立ちそのものに単なるマイナスイメージではなく何か決定的な否定的な意味合いがあるのではと思っていたところ、偶々去る4月21日の国会の質疑で馳浩議員から「害」の語源の解説があり納得した次第です。これは先に書いたとおりです。


再び「漢字海」によれば、「害」の語義は(ア)傷つける(イ)犯す(ウ)殺す とあり(ウ)殺す。の例として「為陶謙所害」=陶謙のそこなうところとなす=陶謙に殺された(三国・武帝紀)を挙げています。「殺害」や「自害」に通じるものでしょう。


「害」の【なりたち】の項には以下の記述があります。
(説文)《形声》そこなう。「宀(=イエ)」「口」から構成される。「宀」「口」は、そこなう発言が家の中から起こる意である。「丯」が音。(釈名)「害」は「割」である。物を割り削るようなものである。(釈天)これは馳浩議員の語源の説明の裏づけとなるでしょう。


「漢字海」には「碍」についての語義は動詞が「さまたげる」「制止する」「とどめる」「見えなくする」「さえぎる」「じゃまをする」名詞は「気がかり」と記されています。【なりたち】の項には(説文)《形声》とどめる。「石」から構成され「礙」が音。とあります。


以上のように「碍」と「害」は意味が全く異なりその【なりたち】も違うことが明らかです。加えて「害」には単なるマイナスイメージと言う以上のいまわしい意味すら含まれていると言えるでしょう。


戦前は障碍の対象が主として事物であり、人が対象となったのは戦後、傷痍軍人に対する「福祉」の必要性と概念が発生して以降のことであることを考えると、戦争直後の混乱期に制定された当用漢字から「碍」の字が漏れたことは、その使用実績からしてやむおえないことであったと言えるでしょう。


しかしながら、当用漢字の内閣告示(1946年)から4年経過後に「身体障害者福祉法」(1950年)を制定するに当たって「しょうがい」の表記をめぐって議論があったのかどうか。故丸山一郎先生によれば法令で「障害者」の表記が使用されたのはこれが戦後初で、これ以降この表記が普及したとのこと。何の議論もなしに「障碍者」の「碍」の字が当用漢字に無いから、あるいは単に発音が「ガイ」で同じというだけの理由で「障害者」に書き換えられたとすれば無神経極まりないと言わざるを得ません。


更には31年後の1981年に当用漢字が見直され常用漢字に改定された際にも何の疑問も持たれなかったとすれば「有識者」の見識が疑われてしかるべきでしょう。


これは障碍者に対する配慮云々以前の問題です。今からでも遅くはありません。過ちは直ちに正しましょう。