tokujirouの日記

古来バリアーは「障碍」と表記されました。江戸末期に「障害」が造語されましたが終戦まで人に対して「害」がつかわれることはありませんでした。「障害者」は誤表記です。「碍」の字を常用漢字に加えて「障碍者」に正常化を急ぎましょう。漢字文化圏では「障碍」が常識です。

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。(複製・配布歓迎します) https://bit.ly/2OIP0nX

「碍」と再び川内博史代議士

 私のライフワークである「障害」「障害者」表記の「障碍」「障碍者」への正常化、具体的には「碍」の字の常用漢字への追加という課題は、8年前に内閣府で検討され、筆者も全力投球しましたが、解決を見たと思った瞬間、理不尽な理由でペンデイングとなり今日に至っています。民主主義というのは手間暇の掛かる、コストを要する制度だと、つくづく思っています。

 さて、継続審議となり、与党の先生方にお願いして進捗が見られないまま8年が経過、現状の凍結状態の打開策をあれこれ模索しているうちに、ふと、川内博史代議士のことを想い出しました。この表記問題を最初に国会で採り上げられたのが川内先生であり、この「はてなブログ」の前身「はてなダイアリー」のtokujirouの日記にも詳細を記録しています。

 即ち、川内代議士は2007年に安倍首相(当時)あてに質問主意書の形で「障碍」表記の正当性を主張されたのに対し、回答は《「碍」の字の常用漢字への追加が先決》でした。ダイアリーには質問主意書と回答書の全文を掲載しています。

 調べてみますと、現在の川内博史衆院議員は立憲民主党の幹部(常任幹事会議長)で、衆議院文部科学委員会所属、しかも筆頭理事の重責を務めておられることが判明しました。

  善は急げと、昨年12月にメールで川内博史衆議院議員国会事務所の門を叩き、宝塚と衆院議員会館政策秘書さま)の間でメールの交信による根回しが進み、川内代議士殿への表敬のため上京することが決まりました。予め8年前に内閣府でのヒヤリングに招かれた折にご縁が出来、以来本件で同志の関係にある佐藤久夫先生《日本社会事業大学名誉教授(当時教授)鳩山政権下で内閣府障がい者制度改革推進会議の主要委員を務められた》に同席をお願いし快諾を得ていました。

 年が明けた本年1月17日、佐藤久夫先生とご一緒に国会事務所で川内代議士にご挨拶をしました。NHKで「西郷どん」(せごどん)の放映が始まっており熊本生まれの私はこの話題から入りましたが川内先生は鹿児島1区選出で良識のある九州の快男児でした。余談ですが、偶々今日(11月1日)の国会中継を観ていたら川内議員が質問に立たれました。答弁者の岩屋毅防衛大臣(大分生れ)もラサール~早稲田政経と同窓とのこと、辺野古基地問題では与野党反対の立場でしたが。さて、3人での会話は弾み、笑顔で衆院議員会館を辞去しました。 了

 

 

 

:::::::::::::::::::::::::::

冊子『碍の字を常用漢字に』をPDFにて配布いたします。

こちらは自由に複製していただいて結構です。

https://bit.ly/2OIP0nX

:::::::::::::::::::::::::::